自分が選択する、と考えてみる

 今年の桜は3月の季節外れの暖かさに誘われて、既に満開に近づいている。
 数年ぶりの行動制限解禁に伴い、暖かさと桜に誘われて多くの人が楽しそうに桜の下を歩き、その下で用意した食事や飲み物を手に友と語らう。本当にいい季節がやってきた。
 その光景を横目に見ながら、自分も美しい桜の下を歩きながらうつむいて口をへの字に曲げている自分がいる。頭の中は、うまくいかなかった仕事や最近の辛い出来事ばかりだ。(何で自分ばっかり、、、何で、何で、、、、)が何度も何度も渦巻く。楽しそうな人の中に居るのが辛くなって家路を急ぐ。
 
 そんな思いに囚われている中で、ハタと気が付いた。上手くいかなかった事と辛い事を数えてみる。その一方で感謝された事や楽しかった事、良かったことを同じように数えてみる。どっちかと言えば、自分にとって良かった事の方が多いじゃないか!何で、うつ向いて(自分だけ辛い、、、)と思っていたのだろうか?と不思議に思った。
  生きていると毎日、どんな時も選択だ。それは、意識している事もそうでない事も(無意識でやっている事も)「選択」の連続だ。
 例えば朝、布団の中で起きるか、もう一度眠り続けるかも自分の選択の一つだ。会社に行かなければ、働かなければと思うだろうが、それも自分で選択した「働くために起きる」、という「選択」をしているとも言える。
 
 話を戻して、私の話。
 どんな事も実は多面的だ。自分にとって上手くいかなかった仕事も、「上手くいかなかった経験」を、次は「上手くいくため」の経験をさせてもらった、と思えれば良い経験ともいえる。要はその出来事をどう捉えて、どう感じるか、どういう考え方をするかも、実は自分が出来る「選択」なのだと気が付くかどうかということなのだ。 
 にもかかわらず、私は悲劇のヒロインを自ら選び(何で私だけが、何で、、、)と、桜咲き誇る素敵な午後の光の中で、うつ向いていたのだ。

 確かに、毎回それほどポジティブな考えで前を向ける日ばかりではないと思う。私もこの気分を実は2日位引きずっていた。しかし、最近の良かった事や、楽しかったことを思い出して数え上げてみているうちに、何だかへの字の口の口角が上がっていた。口角が上がった事で、脳も騙されて少し気持ちがスッキリしてきたようだ。

 今日のこの一日を、どんな気分で過ごすと「あなた」は決めますか?

2023/3/24