自分自身を受入れる

 何かいつも焦っていた。
 自分の成りたい・在りたい姿と現状の自分との大きな乖離。そのギャップにいつもいつも、落胆し焦っていた。どうしても、そのギャップが埋まらない。

 今思えば、その成りたい・在りたい姿の理想像は自分自らが望んで描いた理想像ではなく、「自分が想像する」他者からの期待と自分が「周り」からどう見られたいか、という自分が想像して描いた「これだったら凄いんじゃないか」という理想像だった。

 でも、私はその自分自身が描いた幻想ともいえる理想像になれる事も、追いつくことも出来なかった。だが、ある時はた、と気が付いた。それは、30代のあるとき突然、「いいじゃない、今の自分で」と思ったのだ。何かきっかけがあった訳でも、誰かに何かを言われた訳でもない。突然だった。

 きっと、あの瞬間が私にとって自分で自分自身を受入れられた瞬間だったのだろう。なんか、ほっとしたし、安心した。思い起こせば恐らく、続けてきた仕事が理解できる様になり、自分自身で出来る事も増え、意見を求められることもあり、「自信」がついてきたからだとも思った。

 今でも、在りたい姿である理想像と現状とのギャップに悩むことはある。でも、それは、自分自身が望んでいるまさに、「自分自身が在りたい姿」だ。だからこそ、その悩みには原因があり、解決策も自分で考えられる。そして何より、「今の自分自身」をも受け入れられている感覚がある。
 
 「自分自身を受入れる」とは、私はその事実をその事実のまま「そうなんだな」と認識する事じゃないか、と思っている。犯罪の様に法に触れる事やマナー違反の様な事以外は、いい事も、悪い事も自分自身がその事実に与えている「評価」に過ぎない。特に希望通りにできなかった自分や、嫌な自分は受け入れにくい。だが、結果としてそうなっているのは「事実」なのだ。その事実に自分がどう反応するか、どう評価を与えるかは別の問題として、「その事実」に対して今の自分がこうなっている、こうしたという事実を、そのまま受け入れる事が出来たなら、またそこから自分が在りたい姿に向かって、一歩ずつ進める様な気がする。

 あなたには、今の自分自身の姿はどう見えてますか?

2021/9/24