軽やかに手放す

 「自分が絶対に正しい、なんて思わない」、インタビュー中にその方はサラッとおっしゃった。

 その方は、スタッフの教育担当や店長として19年、経営者として21年人を育て続けている。人の出入りの多いこの業界にあって、各店舗が手狭になる程にスタッフが定着して増えていく。自分の想いに囚われないこの方の関り方が、人を魅了していくのだろうと思えた。
 
 自分が誰かと喧嘩になる時は、自分が絶対に正しくて、相手が絶対に間違っていると思い込んでいる。
 コーチングを学んだり、セッションをする中でも、クライアントの方の発言について、ついつい自分の中に(いやいや、そんなことあるかな?)とか、(こうやればいいのに)と瞬間的に自分の中に浮かんでくる色々な想いに、自分自身が囚われれている事に気が付く。
 
 人が自分の考えや想いに囚われている例として、思い出す絵がある。
 Aさんが、「これは大きな三角形の緑色の箱ですね」
 Bさんが、「いやいや、これは大きな四角形の赤色の箱でしょ」と、お互いに自分が正しいと主張する。
このA,Bはそれぞれ、この箱を挟んだ左右の場所にいて、それぞれの場所から見える同じ箱を見ている。自分がいる所から見えている箱の形や色を、見えたままに会話をしている。
 これは、「自分と相手は同じものが見えている」と錯覚している(思い込んでいる)絵だ。AもBも自分に見えているものが、相手も同じように見えているとは限らない、と言う事を示している。
 
 人はその人の真実の中にいる。
「真実」というのは、事実かどうかではなく、その人にとっての正解・不正解、正義等と判断するに至る前提の事。私たちは、自分の前提にたって、「これは絶対におかしい!」、「あなたが間違っている!」という判断をしがちだ。そんな時に、自分に見えている事、自分の判断等を一旦脇に置き、「相手は何を見ているのか」、「相手が見ている前提に立ったら、何が見えるのか」と視点を変えてみる。それでもなお、自分に見えていたものや、自分の判断は変わらないだろうか。

 私が私の場所から見ている様に、その人もその人の場所から見ている。そのお互いの見えているものを、共有しように対話し、互いに相手の前提にたった上で、相手の話を聴いてみる。相手がどうしてそう思うのか、そう考えるに至ったのか、その前提や背景に至るまで聴く事が出来たら、見える世界が変わると同時に、共に描く未来の姿も大きく変わっていくのではないか、と思っている。

 インタビューをしながら、その方が相手と目線を合わせ、自分の考えや想いを軽やかに手放し、深く相手に入り込むその姿勢に、40年人を育て続けてきた揺るぎない在り方を見ました。

 あなたが「手放す」と決める事は何ですか?

2024/4/3