想いを聴きあう

 忖度:他人の心中やその考えを推し量る事。
 以心伝心:無言のうちに心がお互いに通じ合うこと。わざわざ口で説明しなくても、自然に相手に通じること。(仏語;言葉では表せない悟りや真理を心から心へ伝えること)
 阿吽(あうん)の呼吸:二人以上がいっしょにある物事をする時の、相互の微妙な調子、気持ち。また、その間合いを巧みにつかむこと。
 推察:心のなかをこうであろうと想像したり、察したりすること。思いやる事。
 憶測:自分の心だけでいい加減に推し量る事、不確実な推測。
                               上記すべて出典;精選版 日本国語大辞典
 上記の様に日本語の中には、自分が言葉にしなくても相手に伝わるとか、相手に直接尋ねずとも、自ら察するといった言葉が多く存在する。この様に人間関係の中で「察する事」は重要で、それが出来ないと「無遠慮で無神経」な人、といった扱いを受ける事もある様に、この「察する事」は日本文化の一部という論文もある程だ。

 今年の元旦の大災害によって、いまだに多くの人が、安心して休んだり、生活や仕事をどう立て直したらいいかも判らず、途方にくれている。私はその日々をニュースで見聞きしている。あるニュースでは、能登地方の人達は日本海側の厳しい冬の中で生きてきた事もあって、非常に我慢強く、自分よりも他の人の事を思いやる気質が強く、めったな事で自分自身の辛さを口にしない、と言っていた。ニュースを見ていても、取材を受けていたある高齢者が、「こんなところまで来ていただいて、本当に有難い事です。」と、寒い避難所の中でお礼を言うばかりなのに気が付いた。
 ニュースの中では、断水で不自由な生活を続ける小学生位の子が「親も地震で同じ思いでいるので、あまり気持ちを言わないでいる」と言った事に、衝撃を受けた。
 この子の親に言わないでいる気持ちはどんな事だろうか。(揺れると怖い、眠れない、友達に会いたい、一緒に居て欲しい)等か。その親御さんもきっと、(子供に怖い思いをさせたくない、栄養のあるものを食べさせてやりたい。友達に会わせてやりたい。家の再建、仕事はどうしようか)等だろうか、と察してみる。
 子は親を想い、親は子を想い、苦しみ、悲しみ、辛さ等の千々に乱れる想いをきっとそれぞれが心の奥底に押し込めて、毎日を必死な想いでいるに違いない。

 これは本当に私の勝手な「察し」に違いないのだが、もし子供が親にその想いを、親も一人の人間としてその想いをお互いに聴きあい、苦しみや悲しみを共有できたなら、現状は決して変えられなくとも、一緒に立ち向える家族チームになれるのではないかと思っている。それぞれが抱える苦しみ、悲しみ、辛さをそれぞれが1人で抱えているよりも、それぞれの想いを聴いて受け止め、ただ一緒に居る、ぎゅっと抱きしめてみる。苦しみ、悲しみ、辛さの量は決して変わらないかもしれないが、それを一緒に背負って立つ人が隣にいる。そう判ると、それ以前とは心持が少しは変わるかもしれない。
 
 お互いがお互いを思いやり、察するからこそ、口に出来ないと言う事はよくある。それが相手を思いやる事でもあり、素敵な文化だと思う。こちらの想いを伝えて相手に迷惑が掛かるといけない、と思う気持ちもよく判る。何故なら、相手もこちらの意図を察するだろうと、自ら察するからだろう。
 
 当人でもなく、被害も受けていない私の勝手な察しでも、そこにいらっしゃる人々の心持が少しは変わってくれる事をただひたすらに祈るばかりである。

2024/1/31