今日、「恩送り」で思う事

 私にとって特に印象的な言葉が「恩送り」だった。
その方は、「恩返しをさせてください、と言っても相手が自分より人生の先輩だった時に、単にモノをお礼としてお返しするのでは足りず、どうやって恩返しをしようかと思っていたところ、その方から『次の世代の人の為に、その気持ちを使ってください』と言われた。それが「恩送り」というのだ、と判った」と、教えてくださった。
 なるほど。恩を頂いた人に返す「恩返し」ではなく、頂いた恩を次世代の人々に贈る、送る「恩送り」。いい言葉だと思った。
 
 私達の年代に「これから何をしたい?」と聞くと、「今まで自分が得てきた経験や知恵、技術などを次の人に伝えていきたい」という人が増えてきた。自分の経験を増やすとか、自分がスキルアップする事もいいけれど、そういう立場・年代になってきた人も多いのだろう。
 先日は、あるTV番組内で「親に恩返しをしたいが受取ってもらえない。どうしたらよいか?」という20代の方からの質問に、福山雅治さんが次の様に答えていた。「ご両親からご恩をいただいたお陰で、自分は今こうして(次世代に)恩を送る事が出来ています。有難うございます、と次へ次へと恩を送っていく方法もあるんじゃないか。そうする事で、ちょっとだけ、自分の力が未来の役に立っているかもしれない」と。
 
 それを聞いて考えていた。その恩の贈り方・送り方だな。
 私達世代の持つ経験、知恵・技術を送りたい、という想いが強いが故に、「それはそうじゃない。こうするんだ!」とばかりに、相手が訊いてもいない、求めてもいない時、求められてもいない事を、若干高圧的に、強引に教え込もうとするのは、私は違うんじゃないかと思う。それが、一時的に功を奏する事が結果的にあっても、(あの人の見えるところで失敗したばかりに押し付けられた、自慢話に付き合わされた)と相手が感じるのであれば、恩は贈れていないのはないか、と私は思うのだ。私達が先達に返したいと思った程の恩は、そんな「恩」ではなかったはずなのだ。
 苦しんでいる自分の姿を陰でしっかり見守っていてくれたり、苦しみを吐露させてもらったり、それを静かにただ、聴いてもらったり。こちらの問いかけにも、ヒントとなる種だけを見せて、自分自身で成長する喜びを教えてくれたり、等どこまでも、真摯な姿で対等に向き合ってくれた姿を思い出す。頂いた恩を送る・贈る事は難しいが、そこが、自分自身の重ねてきた経験があればこそ、だと思うのだ。
 
 私には何が出来るだろうか、どんな風にできるだろうか、と私の1年が始まる今日、いただく恩に、改めて感謝しながら考えています。

 あなたの恩を受け止めた人々には、どんな未来を創造していてもらいたいですか?

2024/5/7