人生を「自分自身」に取り戻す

 あるテレビ番組で、作家の女性が自分自身の事を語っていた。私は、彼女の作品を今まで読んだことが無いのだが、ご自身は「自分の人生は自分のもの」というスタンスでこれまでも作品を創ってきたと語っていた。
 そんな彼女が海外で病気になって、医師に「あなたはどうしたい?」と問われ、初めて「自分の人生も、自分の体も自分のものだ!」と改めて思うに至り、自分の人生を、自分の体を取り戻そうと思った、と語っていたのを聴いて、私は思った。
 確かに、専門性の高い病気に関する事や、法律関係における相談等は、自分では全くどうしていいものか判断が出来ないことがある。いや、本当にそうだろうか。
 今回のこの小説家の方の話の様に、「わたしはどうしたいのか?」という方向から、物事に向き合ってみる事は、私達にも出来るのではないかと思う。
 ”この病気に敢然と立ち向うのか、残された時間を治療ではなく家族と過ごす大切な時間としたいのか”
 ”この紛争をどこまでも戦い、自分の正当性を証明するのか、相手ととことん話し合って解決するのか”
 まずは「私自身がどうしたいのか」と言う大前提を決めた上で、専門家にいただいた選択肢から自ら「選ぶ」という判断はできるのではないだろうか。
 
 これは、私がいつまでも後悔している事に、父の治療方針を医師に暗に委ねた事がある。父は病気の症状で話す事が難しくなり、今後どうしたいのかを直接聞く事が出来なかった。困った私たち家族は、最後まで医師に経過を委ね続けた。家族としてどうしたいか、父の意志を想像した上でどうするのがよいのか判断をせず、家族の状況を忖度した医師の裁量に最後まで委ねてしまった。
 私自身の選択が、「医師の裁量に委ねる」という意識的な、主体的ものであれば、きっとここまで後悔を残す事にはならなかっただろう。私の場合は、人に判断をゆだねた結果が取り戻せない後悔を残す事になった。
 自分の人生を自分に取り戻す、「私はどうしたいのか?」今は、父が私に授けた最後の教訓と思っている。

 今、あなたのその人生の主人公が「あなた」になっていますか?
 

2024/1/16