人を信じる

 「信(しん)」
  ①あざむかないこと。いつわらないこと。まこと。誠実
  ②疑わないこと。信用すること。まことと思いこむこと。信頼。
  ③帰依すること。信仰すること。信心。信仰心。        (すべて出典;精選版日本国語大辞典)
 
 上の言葉を改めて見てみて、①は自分が相手に対しての態度と自分の人間としての在り方、②は相手や事柄に対しての自分の心の置き方だと思った。
 
 ある人の話の中で、いつも期限を守らないAさんの話があった。そうならない様に、何度も期限について忠告するものの、いつも期限ギリギリか遅れてしまう事もたびたびある。
 話の中で、その人はAさんに「その時の状況をまず、訊いてみようと思う」と言った。それを聴きながら、何度も忠告を受けている人を想像した。(マズイ、マズイ忘れてた!)、(何度もうるさいよ、それどころじゃないんだよ、トラブルで)(いつも、気に掛けててくれて助かる)など、どんな気持ちで、どんな状態でその忠告をきいているのだろう。
 
 こういう時に、私がこの人を「信じる」とは、どういう事だろうと考えている。
 その人が仰ったように、その人の仕事のみならず今の状況、精神状態等についてまず理解を深める事が重要ではないか。その上で、この件について対応できるのか、出来ない場合にはどんな対応策があるのか等、何でも話せる関係、信頼関係を築く事が、まず、必要なのではないかと思った。
 恐らく、前提としてそういう関係性がつくられる事で、相手を「信じる」事が出来ると思う。万が一、約束が破られる事、信頼を裏切るようなことがあったとしても、その時の声の掛け方が「何してるだ!」という怒りからではなく、「どうしたんだ?」という信頼を基にした心配から発せられるような気がする。
 お互いに声を掛け合う事、理解を深め合う事が、より関係性を深め、信頼が積み重なっていくように思う。

 上記の「信」の意味において、②が実は自分自身に対しても必要なのでは、と受験生のインタビューを聴いて思った。試験に望む彼らが、「今までどんな時にも、一生懸命頑張ってきた自分を信じて、全力で頑張ります!」
 「自分自身を信じる」その気持ちが、絶対的に私には足りなかった。
 どんな時にも、(あぁ、ダメだ、、まだダメだ。)とどうしても、出来ないこと、知らない事ばかりに光をあて、不安になっている。私の場合は向上心、とは少し違う。
 
 私も自分なりにやってきた事、出来た事に対して、それは「事実」として、「自分を信じて」物事に向かい合ってみるのも良いのではないか、と思えた日だった。
 

2024/2/6