誰かに必要とされながら

 「必要とされれば、1人の為にも、どこにでも行きますよ」と、移動販売員の彼は、そう言った。
 今年の正月に発生した地震により、輪島市の朝市通りにあったこの会社の事業所及び車両も被災してしまった。近くのスーパーも消失し、自家用車もなく買い物に困る買い物弱者の方々の為に、この会社は車両を新たに購入し、4月から移動販売を再開した。この移動販売車が来たことを聞きつけた人々が、「ホッケある?」等と運転手兼販売員の彼と言葉を交わしながら、嬉しそうに楽しそうに食材や日用品を買っていく顔が印象的だった。この移動販売は、単に商品を売るだけでなく、高齢者の方々の見守りを兼ねているそうだ。そのため、彼は買い物に来てくださる人全ての顔と名前を覚え、会話の内容を記録して見守りに繋げているそうだ。
 その彼が、「物を売るというよりも、お客さんと会って話して、少しでも元気になっていただければ、という気持ちで回っている」とおっしゃった。
 私たちも人との関りの中で自分がやっている事が、誰かの役に立ったり、お礼を言われたりして、それが必要とされていた事に気が付き、それが自分の満足感や、やる気に繋がったりする。更に、どうやったらもっと満足をしてもらえるだろうか、どんな事が必要なのだろうかと想像を膨らませる事にも繋がっていく。そういうニーズに応える事が、お互いの関係性を深めたり、より役に立つものを生み出すアイディアに繋がるのではないか。

 しかし、「誰かの要望に応える」事だけが「目的」になってしまうと、辛い事もある。それは、相手の要望を待つだけになったり、相手の要望に応えたつもりなのに、思う様な反応、例えばお礼や称賛が得られず落胆する等、気分が乱されたり自己肯定感を下げたりもする。その要望は、あくまでも「誰か」の望みなのだ。

 彼が冒頭の言葉を言った背景は、商品を1つでも多く売って、自分の成績を上げたい、会社の販売実績を上げたい、というものではないと私は思う。彼の真の目的は、現在でも倒壊した家屋がそのままに残る現地において、不安を抱えて不便な中で生活する人が少しでも元気になってくれれば、という彼の願いに似た強い想いから出た言葉に聞こえた。

 私たちは自分の中に、自分の考えや想い、果たしたい使命等を持っている。自分のやっている事がそれらに直結できれば、どんな苦労もがんばって乗り越えようと、努力ができたりする。目の前の仕事や果たすべき事が、自分の真に願う想いに繋がるか、繋げて考えられるか、が大事だと改めて考えさせられるニュースでした。

 あなたはどんな想いや願いを、心の中に秘めていますか?

2024/5/2