その言葉で気持ちがザワザワするのは
何が違うのだろう。
私は病院の予約を取ろうとしていた。街のかかりつけ医ではできない検査のため、地域医療支援病院(かかりつけ医を支援する総合病院)の予約センターに電話をした。
センター:どの様なご予約ですか?
私 :CTを撮影してくるように指示されましたので、予約をしたいです。
センター:紹介状はありますか?
私 :紹介状はありません。
センター:具体的な症状が判らないのに、予約を取る事は出来ません。紹介状を用意してください。
私 :・・・・
上記の文面を見れば、センターの方が言う全くその通りなのだ。地域医療支援病院は街のかかりつけ医からの紹介を受けて、救急患者や、更に高度な治療を要する患者の為に用意されいる医療資源だ。その為、1次的なかかりつけ医からの紹介によって、2次的に診察・治療を行う。
それは判っている。しかし今回は、私が診察を受けようとしている病院の受診前で、受診の申し込みをネットからした所「症状が発生する他の原因の可能性の存在を確認してから、治療をしましょう」という事で、上記CTを撮影して、診察時に結果を持参する様に指示がされた。その時にわずかに(紹介状はいただけないのか?)と私も思ったのは確かだ。そこを直球でバシッと指摘された事で、ザワザワしているのか。
それでも、紹介状が無い限り予約が出来ない事実は変わらず、これから受診しようとしている病院に、すぐに連絡をした。
病院受付:どの様なご用件ですか?
私 :そちらからの指示でCTの予約をしようとしたところ、紹介状が必要だと言われました。
病院受付:こちらが指示をしたCTを撮影するために、紹介状が必要だと言われたのですね。
私 :はい。そちらからCTが必要な理由や症状の説明がないと予約が出来ないと言われました。
病院受付:判りました。担当が不在ですので明日、こちらからご連絡します。
上記ふたつの電話の相手の方は、受け答えに感情を挟まない、冷静で淡々とした話し方で、私はどちらかと言うと苦手な受け答えだ。それでも、センターの方の受け答えにイライラとしたのに対し、病院受付の方の受け答えには、慎重さと誠実さがある様に私は感じていた。何故だろう。
一つには、必要性が判っていながら紹介状を用意していない、自分の後ろめたい様な気持ちをセンターの方にズバッと言い当てられた様な居心地の悪さがある。それに対して容赦なく、必要なものをどうして用意していないの?と責められるような感じを受けた。ダメな自分の部分を指摘された事が、私を苛立たせたのか。
他方、CTを指示した病院に対しては、この状況を打開して欲しいという、私にへりくだった気持ちがあり、対手に期待するところが有ったのだろうか。
悶々としながら、このブログを書いている。
コミュニケーションには、こういう事がよく起こる。特に電話やメールの様な文面の場合には、相対して話す場合よりも、相手側の情報が限られている。相手がそう言った、言わざるを得ない背景や事情、言葉の裏に隠された感情等が相対して話す時は、顔の表情や体の動きなどから言葉以上の情報をキャッチする事もある。
ただ。
それでも、それは言葉を受取った側の勝手な解釈だ。言葉を発した人が”どんな思い”で、言葉以上の”本当は何を望んでいるのか”は、本人に直接尋ねなければ判らない。そうやってコミュニケーションを重ねる事でしか、相互の理解は深められない。
自分の意思を伝える為に、言葉を尽くす事、音声や文字でコミュニケーションを取る場合の言葉の届け方、受取る方への配慮を改めて考えている。そう考えると私の不躾な物言いが、相手を不快にさせて関係が殺伐としたのか、と思い至った。
あなたが相手に言葉を届ける時には、何を意識していますか?

