自分の「当たり前」を疑ってみる

 ①約束を守る事。出来ない約束はしない事。
 ②自分が「やる」と言った事はやりきる事。
 ③嫌な事は嫌だという。
 ④無理はしない。
 これは私自身が「当たり前だ」と思っていた事。他の人も当然「当たり前だと思っている」と信じていて、例えば、約束が守られない時、相手に対して「どうして!」とイライラしていた。それは「私の当たり前」であって、誰でもがそうでないと言う事を、改めて知った。
 私達個々人の生来の気質・性格、生育環境や両親・人生の様々な場面で出会った人々との関係性等、様々な要素が、私達に直接・間接に影響を与えるから、当然にみんな違う。同じ両親の間に育った兄弟姉妹でさえ全く違うと判っていても、どうもその前提を「みんな同じ」だと錯覚してしまう
 
 彼女と私は誕生日が同じで、同じ会社の同期として出会い、仲良くなった。彼女はスポーツが得意で、そのスポーツの審判資格を取得するほどだ。スポーツ振興協会に彼女はその審判員として登録しているので、各種の競技大会・国体等で、そのスポーツ競技があると審判員として参加要請がある。いずれもボランティアとしての参加だ。
 ある日、彼女からのメールで連日猛暑の中、審判を続けていて熱中症だと言ってきた。私は慌てて、「どうしてそんな状態になる迄、続けているの!」とメールを返し、「あなたは体の調子も万全じゃないのに、猛暑等気候の厳しい時はやれない、と何故言わないの!!」と心配を通り越し、彼女を叱りつけてしまった。その時、彼女は言ったのだ。「私が断ったら、誰かがやらないといけないから」
 私にとって「無理はしないのが当たり前」で、それは無理をしたことが原因で、結果、人に迷惑が掛かる事があったり、体調不良が長引いた結果、自分も思う様に出来なくなると思っているからだ。しかし、彼女は自分が出来る責任を果たさないと、「誰かが大変なことになる、誰かが私の代わりをやらないといけなくなる」と心配して、審判員を引き受けているのだった。

 「約束は守る。自分が「やる」と言った事はやりきる」という点で、「約束」の解釈や「やる・やらない」の境界に違いはあるものの、彼女と私には「当たり前」と思う共通点がある。しかし、この一件で、彼女の想い・考えを改めてきく事が出来た事、と同時に、彼女がそこまでする理由を尋ねる前に、「自分の当たり前」から彼女を否定した自分が恥ずかしくなった。当然ながら、彼女には彼女の「当たり前」が存在していたのだ。

 あなたが誰かとすれ違う時、何をしますか? 
 

2024/5/31