ありがとう、と言えることで
自分にとって耳の痛い事を言ってくれる、失敗の報告を上げてくれるメンバーに「ありがとう!」
その方は、「その方が自分が後々、楽だからですよ。」と非常に控えめにおっしゃった。
部下が、仲間が何かを間違える。その失敗について「何故、いつもそうだんだ!!」「どうして、失敗したんだ!!」と怒りに任せて、怒鳴る・叱る。そして、どうして失敗したのか、誰に責任があるのかという、犯人探しが始まる。
「原因究明」という点においては、意味があるだろう。しかし、既に起こった事、終わってしまった事について、吊し上げの様に犯人探しをして、誰かを謝らせる事にどこまでの意味があるのだろうか、と思ってしまう。
上記の話を聴かせていただいた方も、管理職となったばかりの頃は「何でそんな事になったんだ!」と怒鳴り、原因究明や今後の対策などを責任者に求めていたそうだ。しかし、ある時報告が遅れた事で、過ちが発覚した時点で大事件になってしまった。その件を改めて振返った時に、自分が部下だった頃に、みんなの前で叱責されたり、恥をかかされるような事を言われるなら、その失敗を報告せず隠したのではないか。誰だって、自らの失敗を自分の評価者である上司に、わざわざ報告したい人なんていないだろう、と自分の事を思い起こされたそうだ。
それからは、お客様からのクレーム、失敗した事、悪い報告ほど早く知らせて欲しいと事あるごとに、メンバーには伝えてこられたそうだ。ただ、そうは言ってもなかなかその空気は変わらない。時には、(何やってるんだ!)と腹が立ったり、悔しかったりと色々な感情を辛抱しながら、クレームの報告、悪い知らせには必ず、「ありがとう!早く伝えてくれて助かったよ!」と伝え続けてきたそうだ。
2~3年経過した頃。若いメンバーから「この件につき、誤ってしまいました。対応策としてはA案とB案が考えられますが、どの様にしたらよいでしょうか?」という報告があったそうだ。正直、この件はステークスホルダーや外部の関係者には影響は全くなく、正確性、という点では「誤り」ではあるものの、大きな影響を及ぼす事はない事案だった。それでも、「悪い報告は一刻も早く上げる、という文化が根付いたんだな、と思えた瞬間でした。嬉しかったですね」と噛みしめられるようにおっしゃった。更に、「人間がする事である以上、失敗や誤りはあるものです。それを、どう早くキャッチしてリカバリーするかだと思うのです。その為に、対処すべき失敗や誤りに早く気が付き、大事に至る前にいかに対処するかの方が大事ですからね。」
これをお伺いした際に、上司に求められている大事な事を聴かせていただいた様に思った。
・「人がする事には失敗も誤りもある」という前提でいる
・失敗をするような「挑戦できる環境(雰囲気)がある
・失敗や誤りから何を学び、次に生かすかを一緒に考える態度でいる
・失敗や誤りを修正・改善に繋げて考える思考を育てる
・落ち着いて仕事に向き合える環境を作る
一覧にしてみると、目新しい話でない事に気が付く。しかし、実際に実践しようとすると、上司自身にも大きな覚悟と忍耐、個々のメンバーにきちんと向き合う為の、心理的・物理的な余裕も必要だ。
失敗に向き合っている本人は、ショックで自分の不甲斐なさに情けない思いでいる。そんな中で、情けない自分の失敗を報告する上司には「ありがとう!すぐに報告してくれて助かったよ。それでどうする?」という態度で、迎えられる。この人と一緒に働きたい、この人の為に働きたいと思われる上司は、こういう人だと思った瞬間でした。
ありがとう!とあなたが言った後に、相手はどんな表情でしたか?

