他者からの視点を受取った時に
久しぶりに対面で行われた研修に参加してみた。
コロナ禍の時期、Zoom等のネット通信技術が格段に変化していわゆる‘’ウェビナー”と言われる、インターネット回線を使用した研修・セミナーが増え、今でもそのような実施方法で行われる事も多い。時間と場所の制約を受けず、更に移動時間も必要がないため、地方に住む私達にも受講の機会が格段に増えた。時間も費用も大幅に縮減できた事で、参加するハードルが下がった事は、コロナ禍がもたらしたプラスの産物だったと思う。
しかし、この研修は体験・体感する事が目的であるため、敢えて対面で実施されるものだった。参加者はほとんどの場合初めてお会いする人ばかりだ。何事も初めてに緊張する私は、前日からの疲労も重なり、自ら申し込んだにも関わらず、重たい足取りでどんよりとした気分のまま、会場に足を踏み入れた。
研修内容は自己理解。自分自身の事を自分の言葉で他者に開示してみて、開示された内容についてグループの方と分かち合い、質問に答えたりしながら、更に自分自身についての認識を深めていくワークの連続だった。
職業柄、人と話したり、自己開示の機会が多いため、殊更に自己開示に躊躇する事は無いのだが、それでも初めてお会いする人の前では、(何を話そうかな、何といえばいいかな)と考えて選択をしている自分がいた。
しかし、自分の事を色々な人に話して、その話を何度も色々な人に聴かれているうちに、仕事上見せている顔、仕事の時に装っている自分、がんばろうとしている(一部虚勢を張っている)自分から、力が抜けていったのかもしれない。
最後のワークは、自分を表現する創作の時間がだった。全員に「同じ物」を渡されて、その「物」を自分と見立てて切ったり、畳んだり、絵や言葉を貼り付けてみたり、色を塗ることで、自分自身を表現する。私は開口部を開いて、内側と外側を作った。内側は人に見せない、あるいは自分自身の部屋の様な所で、疲れた時、ひとりになりたい時に隠れる様な場所として作った。そこは自分の好きなものに囲まれて、落ち着ける空間。植物や清々しい景色の見える窓などがあったり、好きなアロマを炊き込めるような感じ。
それに対し、外側は仕事上で私が大切にしている対等・公平・平等・好奇心等の価値観に近いような言葉、いつかは暮らしてみたい素敵な風景の写真、世界平和を願うイラスト・言葉等を色々と貼り付けた。内と外を創りながら、だんだん内と外が混ざり合う様な、境界線が少しづつハッキリしなくなるような感覚と、自分自身が本当に求めているもの、大切にしているものが明確になっていく様な感覚に夢中になっていた。
制作後は参加者全員が、それぞれの制作物を見ながら想像して回る。どれ一つとして、与えられた「同じもの」が”同じ”ではなくなっていた。人それぞれの考えや、想い、表現方法がすべて異なっており興味深かった。
その後、グループ内で自分の創ったものについて具体的に解説をし、グループのメンバーから質問を受け、感想を聞く。その人となりがその作品に見事に表現されていた。私の作品について興味深かった感想は、エネルギーや広がりを感じる、というものだった。
私としては、内にこもる自分を内側として表現したにも拘らず、「エネルギーや広がり」として伝わっている事がとても意外だったが、外側に貼り付けた写真、言葉からそう受け取ってもらったのだろう。そういう感想をいただいて、初めて自分の意識が外側に向けて広がっていたり、ある種のエネルギーを放っている様に思えてきた。
私達は他者から色々な場面で、自分について伝えられることがある。それは、「その人の感想」であって事実かどうかは関係が無いし、ましてや「他人の感想」を自分が受け入れるかどうかは選択ができる。私は今回の感想を受入れる事にした。何故か、受け入れる事で未来に向かう自分の可能性が広がる様な気がして、ワクワクしたからだ。体感する事を意図した今回の研修に参加してみて、本当に良かったと思った。
他者の視点を受入れるとしたら、あなたに何が起きますか?

