自分の思い込みに気づく2
あぁ、そうだったのか。
彼女と私は私達が社会人になった年に、同じ会社の同僚として出会った。その友人関係も既に数十年は経過している。同じ会社で働いていた時も、仕事を一緒にする事は無かったが、一緒に食事をしたり、お互いの家を行き来したりして、お互いの家族にも面識がある程、親しい関係にあり、私は彼女を「知っている」つもりでいた。
私がその会社を退職した後も、今に至るまで関係は続いており、先日、本当に久しぶりに旅行をした。この旅行の直前に彼女は職場内で想定外の異動があり、旅行で不在にする間の仕事に段取りをつける為に、前日も残業だったそうだ。最寄り駅で久しぶりにあった彼女は疲れた顔をしていた。
会えない間も、SNSなどで連絡を時々取っていたが、仕事の事、両親の事、ボランティアの事等、日々忙しく過ごしていて、自身の健康にも課題を抱えている様だった。
対して私も、自分の仕事の事、家族の生活や健康等、この世代の特有で共通の同じ様な悩みを抱えていた。しかし、私自身は生来の怖がりな性質と体力がない事の自覚もあって、何事も無理をせず、体調不良になりそうな場合には早め早めに休息や睡眠をとる様な生活を続けていたので、今のところ健康面に問題はない。
そんな自分のそもそもの生活状態や考えから、SNSで彼女にメッセージを送る際にも、「無理はしないで、ゆっくり休んでね」と事あるごとに書いていた。何故なら、彼女のメッセージには「残業で終電を逃した」や「休日もボランティアで○○へ行く」等とあり、私からすれば彼女には休息や睡眠が絶対的に不足している、彼女には休息が必要だ!と思ったからだった。
今回の旅行の途中で、バスに乗って移動する時間があった。案の定、彼女は座席に座るや否や、すぐに寝息を立てて眠りだした。よっぽど日々の睡眠が足りずに疲れていて眠かったのだろうと、私は横で静かに座っていた。
知らないうちに私も寝ていた。ふっと目が覚めて彼女を見て驚いた。どうも、彼女は途中で目が覚めたらしく、バスの座席に座ったまま語学の勉強をしていたのだった。
私は思った。彼女にとって、じっと止まっている時間(何もしない時間または何も得られない時間)は、自分が生きている、人生を歩いている実感がないのか。ただ、これすらも私の想像でしかない。時間を惜しむかのように貪欲に、新しいものを見聞きし、体験し、動き続ける彼女。彼女を掻き立てる原動力となっているものは何なのか。その先に何が見えているのか、どんな人生を歩みたいのかを改めてこの機会に聞いてみれば良かった。
疲れる前に休んで体を整えるべきだと、健康状態を理由に割としり込みをする私の思い込みを前提に、口うるさく「休め、休め!」と外野からはやし立てていたのかもしれない。そんな事は言われずとも、疲れればすっと眠っているし、そうでなければそもそも寝られないのだ、と彼女は以前言っていたような気もした。
彼女と一緒に過ごした旅行中に、その人の思い込みから掛けられる言葉は、自分だったら嫌だし、受取れないなと改めて気が付き反省した時間でした。
その話の背景を改めて聴いたら、何があなたには見えるでしょうか?

