対話を通じてクライアントとシンクロしながら、
自分も変身し続ける

 プロビジネスコーチ
Co-Creation Laboratory株式会社
代表取締役 小西 宏明様 

ご経歴

 東大阪市出身。ラグビーが盛んな地域という事もあり、中学入学時にラグビー部に入部。現在も40代から90代までがプレーする“不惑ラグビー“で現役ラガーとしてプレーをしている。
 一風変わったキャリアの始まりは、大学卒業後にトヨタ自動車販売店に就職。カローラ営業スタッフとして13年、レクサス販売店で2年。15年間で合計864台の自動車を売り上げた。その手腕を買われ、元々は顧客だった業務用酒類卸会社に2018年1月から社長の後継ぎとして迎えられ、厚生年金の不備など旧来型の会社運営の組織改善提案を試みたが、組織変革を実行することができず力不足を痛感した。
 MBA在学中に知ったコーチングを2018年から学び始め、複業としてスタート。コーチングを通じて出会った精神科医療法人理事長に大阪本院と新しく開業した東京・大森分院のチームビルディングと2院のマネージメントを任され、2019年6月に経営企画室室長として転職。コロナ禍もあり、慣れない医療法人経営に苦しみ2020年2月に退職することになる。複業だったコーチングを通じて、対人支援の在り方を考え、クライアントの可能性を広げながら支援を続けると共に、自分自身の活動範囲も広げながら、今もなお変身し続ける。

  • Q.1.現在に至るまでの、経緯をお願いします。
    A.小西宏明様(以下:小西様):
     僕は、ここに至るまで、自分が思ってもいない自分に変身してきた、という感じが有ります。
     保育園児だった頃は、かけっこもビリやし、運動音痴で運動が大嫌いで、運動会は全然面白ろない!と思っていたんです。野球好きの祖父が誕生日にグローブを買ってくれたんですけど全然嬉しくない(笑)デッドボール痛いし嫌や!って言ってたんですよ。それが、小学生のある時に(長い時間走っても全然疲れへんし、得意なんや!)って気が付いたんです。更に高学年くらいになると、その頃、大阪では上宮太子高校の野球部が甲子園に出場し活躍していて、ただ野球のユニフォーム姿がカッコいいなという思いから、中学校に入学したら野球部に入るつもりでした。
     そのつもりで、野球部の仮入部に行ったところ監督から「今日の練習はおもろないから帰れ、○○日後に来い」と返されたんです。次の日は野球部の仮入部もなく、やる事も無い。自分はその頃、背が高く、体も大きかったので、小学生の時から友達が「一緒にラグビーやろうや!」って言ってくれていたので、ラグビー部の仮入部にも一回行ってみようかな、という軽い気持ちで行ってみたんです。ここ東大阪はラグビーが盛んで、小学校からラグビーをやっている子もすごく多い土地柄です。小学生の頃は、自分はボーイスカウトにも入っていたので、日曜日の練習は無理やなと、思ってラグビーを諦めていました。しかし、仮入部に参加した練習終わりに、何故か監督に呼ばれて「お前、昨日おらんかったな?名前なんて言うねん?」と、名前を聞かれたんですね。友達に「監督に名前を言ったら入らなあかんのんとちゃう?」といわれて妙に怖くなって入部した、というのがラグビーを始めたきっかけでした。痛いの嫌や!と言っていたのにね(笑)
     入ってみたらラグビー部は部員数が1学年で40人位、合計で100人以上はいたんです。レギュラーは足の速い順に選ばれていくんですよ。それでいくと僕はドベ(最後)。しかし何故か、学年チームのレギュラーに入れ!といわれて(え?学年ドベなのにいいの?)という感じで選ばれ、その後ずっと試合に出させてもらった事で、ラグビーが面白くなりましたね。
     当時、僕たちのチームはムチャクチャ強くて、近畿大会で3位になった事で、啓光学園(現在の常翔啓光学園)や大阪工大高(現在の常翔学園)に推薦で行った友達も多く、僕も私立大阪桐蔭から推薦のお声がけをいただきました。しかし、私立高校に進学すると相当にお金が必要だと判り、公立高校ながら花園(ラグビーの聖地で花園ラグビー場で行われる全国高校ラグビー大会)に出場していた淀川工業高校に進学する事にしました。しかし、中学生最後の試合は靭帯を切る故障、高校生最後の試合は凄い体格の大きい1年生が入部、花園予選では予想に反して2回戦敗退と、ひと頃はレギュラーではあるものの、なかなか“最後の試合”に出場する機会に恵まれませんでした。
     そのため、少し自信を失っていたんでしょうね。大学に入学したら全国大会を目指す様な「勝たなきゃいけないラグビー」は、もう辞めようと思っていたんです。ただ、高校3年生の3月25日の時点で、進路がなかなか決まらず、進路未定の状態。突然、監督から電話がかかってきて、明日「近畿大学の練習があるから行って来い」と言われて練習に行き、その数日後に短期大学部の入学試験を受けに行ったという感じです。本当に綱渡り的に生きてきました。
     就職の時期も丁度、就職氷河期。苦戦する中で、トヨタディーラーの人事担当の方から「OBは合宿の差し入れに何を持っていくの?」と直接質問された事がありました。「ポカリスエットの粉末とかですね〜」と軽く答えたその翌日。ラグビー部の監督から「トヨタディーラーの人事の方がポカリスエットの粉末持ってきたぞ。」との連絡があり、取りに行ったら「ここまでされたらそこのディーラーに行け!」と言われれたんです。それまで監督は「小西、車のディーラーは止めとけ!」って言っていたのに、ですよ(笑)
     ディーラーで働き始めたら、水が合っていたんでしょうね。新人の時から7年目ぐらいまでは、営業成績が良くて連続で毎年社内表彰をいただきました。年末になると、毎年のように成績上位者はご褒美でハワイやオーストラリア等海外旅行に連れて行ってもらえる訳です。調子にのっていましたねぇ、「自分は車を売れるわ!」と思って。
     また複数の特命プロジェクトチームでリーダーをさせていただき、「チームメンバー全員が前年の数字を超える」という目標の下にやるのですが、それも小西チームが他のチームよりも達成率が上回って、チームで表彰をいただけたんです。みんなで目標を目指す感じ、それがもう、楽しくて!
     ある時、店長候補の研修に社内最年少で選抜された事が有りました。他にも自分で営業研修を主宰したり、店舗のチームのマネージメント、自分の営業目標等、多くの責任を負いながら、リーダー職である限りは、48台の販売台数をクリアーしていく必要がありました。結局、完了46台で、2台未達だったんですね。その他の売上額や利益などの予算数字、関わったチームメンバーは目標台数以上でクリアしているにもかかわらず、自分の目標販売台数が2台未達。結果として、リーダーの役職や他のすべての役職から降ろされる事になったのです。その結果に(世知辛らぁ~!)と思いましたね。
     その頃たまたま、新聞でMBAの社会人大学院の記事を見ました。その時に店長研修を受けていたけれど、(自分はきちんとマネージメントを学んでいたのだろうか)、法人向けには「リース契約がお得で、経費計上できますよ。」とお客様に説明をしてきたけれど、もっと詳細を具体的に知りたい!と思ったんですよ。その社会人大学院は上司の推薦状があれば筆記試験をパスできたので、上司にお願いをした所、社内では「小西はMBAをとって会社を辞めるらしい」との噂が回ったそうです。大学院入学の年、10月に入って急にレクサスに転勤となりました。その転勤は「退職を引き留める為だったかもね。」と、これは後で先輩社員から聞いたんですけどね(笑)
     僕がカローラディーラーの新人の頃に担当した地域の商店街に、業務用の酒屋さんが有りました。飛び込み営業に行ったその酒屋さんとは少しずつ取引が増えていき、トラックから社長の車まで全ての車をトヨタ車に契約を変えて頂いたり、僕が結婚した時の新婚旅行の段取りまでして頂く程、本当に公私に渡ってお世話になった会社です。レクサスで働いて2年位経ったころ、その社長に突然、「跡継ぎになって欲しい」といわれました。大学院で経営学修士の勉強した事、後継ぎとして認めていただけた嬉しさもあって、「挑戦してみよう!」と2018年1月に転職を決めました。
     入社すると朝4時から1ケースが35,6キロある大ビンビールの120ケース位を手積み・手おろししてトラックで運び、店舗の狭い階段を上って納品し、空瓶を回収して昼過ぎに終わるという仕事を毎日しました。その配達以外に、社内の福利厚生などの制度が整備されていない事を改善しようと色々と試みたのですが、その行動で次第に社長と意見がぶつかる様になりました。上手くいかないなと、思い始めたのは2018年8月頃です。
     この頃、配達後の昼からは時間があったので、大学院で知ったコーチングを、改めてコーチングアカデミーで勉強し始めました。コーチングの実践をする中で、大阪天満の精神科医療法人の理事長と知り合う事になりました。その方から「これから東京の大森に分院を出すから、天満と大森のクリニックのマネジメントをして欲しい」と言われて、2019年6月に転職をする事にしました。
     医療法人で働き始めると、大森のクリニックは4科を標榜する病院の様な規模で、当然、人件費などの経営コストも大きくて毎月巨額の出費があり、法人の資金がみるみるうちに減少していきました。理事長からは資金調達をする様に指示されたのですが、「医療法人に何故、そんなに資金が必要なのか?」等と言われ、金融機関からはなかなか資金調達が出来ませんでした。その頃は理事長の付き人の様な状態で「どうにか患者さんに利用していただける様にしろ!」なんて言われていました。そこにきてコロナの足音です。この頃にはサラリーマンとして、この先どうなるのか不安で働き続ける事が次第に怖くなっていました。
     2018年から勉強を始めたコーチングを複業として続けていたので、2020年3月にコーチングで独立する事を決めました。しかし、まさにコロナ禍の緊急事態宣言直下。収入として思う様にならず、コロナ融資を受けて何とか食いつないだりと、なかなか上手くいかず、悪戦苦闘の毎日でした。2022年4月頃いよいよ手元資金も尽きてきて、近所のマクドナルドやユニクロの配送センター等でアルバイトでも始めないとダメかもしれないと思っていました。ダメ元で以前はまったく箸にも棒にも掛からなかった複業マッチングプラットフォームに再度必死でエントリーをしていきました。幸いにも少し実績が増えていたこともあり、おかげさまで2022年6月ごろからSmart相談室等の業務委託先が複数件ご縁をいただくことが出来、2023年9月頃から少しずつ何とかやっていけるぐらいのお仕事をアサインして頂く機会に恵まれてきて今に至る、という感じです。
     ディーラーから転職した先々で、色々と大変な事を経験した事が今となっては、人生にとっては大きなプラスになったと感じているんです。医療法人の理事長は今では兄貴の様な存在で、毎週木曜日に往診のサポートを業務委託としてお仕事をさせて頂いています。移動車の中で心理領域、医療領域の話を一日中聴く事が出来て、僕のコーチング基盤が出来てきたなと感じています。
  • Q.2.2020年に個人事業主として創業、2024年8月8日に法人登記されました。会社を経営される中で最も大切にされている事は何ですか?
    A.小西様:経営上、多くの事を大切にしてきたと思うのですが、一番は「バランス」ですかね。
     2022年頃、なかなか収入に繋がらなかった頃に、コーチングだけでなく、セミナー講師等色々やってみました。それも最初はなかなか上手くはいかなかったんです。それでも続けていくうちに色々見えてきた事は、「何かだけ」を尖ってやっていたら良くないな、という事でした。
     更にGoogleの元社員の方が書いた本「世界最高のコーチ:ピョートル・フェリクス・グジバチ著」に、「ルーフショット(今の売り上げに直接的に繋がる仕事):70%、ムーンショット(将来の売り上げに繋がる活動・行動):20%、ジュピターショット(自分の勉強や、社会への貢献等):10%」を意識する事が大事だ、とあり、このバランスを気に掛けています。例えばジュピターショットとして、今、小学生ラグビーの全国大会を運営する「NPOヒーローズ」では、理事としてボランティア活動をしているのですが、有難い事にこれがきっかけで全国の多くの方々とご縁が広がっています。中にはお仕事の話しに繋がって、ムーンショットや、ルーフショットに繋がるというイメージです。この様に、今いまの、目の前の売り上げばかりを追いかけないようにして、次のビジネスの芽や、社会への貢献、様々な方々との会話から学ぶなどのバランスを心掛けて経営をしていますね。
     大学院でMBAを勉強して、CEO(将来領域),CFO(お金領域),COO(実務領域)と三権分立で分ける事と、それぞれが独立してきちんと責任を持たせる事は非常に重要で必要な事だと思いましたね。自分は理想論が少し強くて、あるべき姿等を目指す活動のジュピターショットばかりをやりたくなってしまうのです。しかし、特にお金領域に関しては、学生時代の悪友で会計の専門家が幸いにもいてくれます。収入と支出の連動性等は、彼に客観的な視点でアドバイスやフィードバックをもらう様にして、売上につながる様な仕事とのバランスをとるようにしています。彼には定期的に面談機会を作ってもらって、話を聴いてもらう事は、ファイナンス領域のビジネスコーチングを受けている様な感じです。
     実務においては妻がサポートをしてくれています。スケジュール管理や案件管理、テキスト等の制作物の納品管理、出張先のホテルをどこにするか、効率的な移動手段の検討、航空会社のタイムセールチェック等。日頃、研修などの長時間の移動を含む仕事をする中では、どうしても手薄になってしまう部分を多岐に渡って、家事と両立しながらマネジメントをしてくれいて、本当に感謝しています。本当はもっとちゃんとこの感謝を言わなきゃ、ですね。(笑)
  • Q.3.様々な場面で、小西さんが「人と向き合う時に大切にされている事」はどんな事でしょうか?
    A.小西様:常に「その人サクセス」って、なんやろなぁと思っています。小西のコーチとしてのサクセス(自分の成功)なんてのはどうでもいい。「その人サクセス」が達成できた時が、とにかく嬉しくて楽しいんです。  
     僕自身が誰かにやらされてやらなきゃならないとか、歯を食いしばってなんとか頑張っている様だと絶対ダメだと思うんです。そんな姿勢は、クライアントさんに伝わると思いますね。クライアントさんの達成に向けて作戦会議をする時も、その人が「よし、やってみよう!」って、気持ちがワクワクする様な好奇心を扱って、とにかく『その時を楽しもう!』という思いを共有したいと思ってやっています。セッションの中でも「好奇心」という言葉をよく使っていますしね。
     イメージは、エベレスト等での登頂を支援する「シェルパ」の様な存在になりたいと思ってやっています。シェルパ(コーチ)が横にいてくれて、パッて顔を見たらしんどそうにしていたら嫌ですもんね。(笑)登山者(クライアント)が思う存分、高みに挑戦し、更なる目標達成を目指し続けられる様に、その陰や裏側には、チームの一員として、全幅の信頼を置ける人(コーチ)との対話による作戦会議や振り返りの時間がある。僕はそんなシェルパの様な存在になりたいと思っているのです。その為には、クライアントの人となりや、どんな価値観を持っていて、何を楽しみにしているのか等を知る事が、その方の目標設定をする上でも最も大事だと思います。
     更に、自分自身も考えがシンクロして同じ歩幅で前進することを楽しめるかという事と、できる限り広い視野で考えられるように、360度を僕がサーチライトで照らしながら質問をして、クライアントさんが出した答えが、たとえ「どんなオフロードでも行く!」と言ったなら、「行きましょう!」と、サポートしていける自分でいたいのです。クライアント対支援者みたいに、お互いにテーブルを挟んで向き合った感じだと一方通行感があって淋しいな。シェルパの様に同じ頂上を、息を切らしながらも笑顔で一緒に見上げて、そこにある同じ空気感を味わいながら、一緒に前進する。大袈裟かもしれませんが、そんな感じのシェルパになりたいなと思っていますね。
  • Q.4.今後ご自身がやりたい事はどんなことでしょうか?
    A.小西様:いっぱいあるんですよ、ちょっと多いかもしれませんがいいですか?(笑)
     実はおかげさまで、この8月8日に個人事業主から法人成りをすることが出来ました。多くの方々のご支援のおかげで、仕事のステータスをひとつ進める事が出来ましたが、ここから5年以内の目標が二つあるんです。
     1つ目は、湘南拠点を設ける事。医療法人の理事長が鎌倉の湘南エリアに在住で「鎌倉に来て、湘南エリアでビーチコーチングをするのは絶対に良いよ!」って言ってくれています。実は「お散歩コーチング」をいうのをやっているのですが、クライアントさんと一緒に歩きながらコーチングをします。その時に一緒の景色を見たり、音を聞いて同じ歩調で歩くと、同じ様な考えがシンクロしたりして、凄く良いと、ある精神科の先生が教えてくれました。今後の活動の幅を広げていく上で、東京近くでやりたいという事もあって、湘南拠点を考えています。
     もう一つは、ラグビーのプロショップ・専門店を大阪で開業する事です。大阪って、ラグビーが盛んであるにも関わらず、実はラグビー専門の「プロショップ」が本当に少ないんです。ある日、大阪のとある専門店に買い物に行った時に、小学生ぐらいの子が親御さんと一緒にスパイクを買いに来ていました。そこの店員さんが「そこにある在庫のスパイクを適当に履いてください」と言ってたのを聞いて、(新しいスパイク抱いて寝たり、試合前には「はぁ〜っ!」て、息吹きかけてピカピカに磨いて、途中で切れないように新しい靴紐に変えたりする程、スパイクは選手にとっては大事な大事なアイテムなのに!!信じられない!)と店員さんの態度に納得がいかなかった事があったんです。
     だからこそ、自分がやりたいお店は、大阪ではなかなか手に入らない様な海外のチームのグッズや有名選手が履いているスパイクを置いたり、選手たちのサインや、選手と直接話ができたりする等、色々とかっこいいラグビーの世界に触れられてワクワクする場所が作れたらいいな、と思っています。そうしたら、お腹も空くでしょう!ということで、ハンバーガーショップも併設出来たらいいですね(笑)プロショップのキャッシュフローが安定してきたら、ハンバーガーショップは、現場を任せられる様な人と一緒に5店舗位まで増やしていきたいな、と思っています。
     大学時代の最後は、体中の全ての関節が、怪我でボロボロになってしまい「これでもうラグビーは2度と出来ないな」と思っていました。しかし、あれから20年経った今、ラグビーと偶然にもまさかの再会をしました。今では、グランドで可能な範囲でプレーをしたり、初めてお会いするOBの方と話す機会を得たりと、ラグビーとの関係が続いています。もしかしたらラグビーとの深い繋がり(楕縁と言っています)が幸いにも頂けているのかな、と思いますね。
     今になってわかる事は、自分達が現役の頃、何も考えずにラグビーが出来ていたのは、裏方として応援やサポートをしてくれていた色々な人がいたからだという事。それを思うと自分も今、何かできる事をしなきゃいけないと思いますね。
     更にやりたい事を言うと、50歳位になったら、ニューヨークに行きたい!と思っているんです。MBAの同級生で、劇団四季のユニフォームや映画の衣装をプロデュースしている友人がいて、その人からニューヨークで活躍したいと挑戦する日本人が大勢いる事を聞いたんです。ニューヨークを舞台に、たった一人で挑戦を続ける事って、やっぱり本当に大変だと思います。そういう方と、もしご縁が得られるならば、ぜひご支援させて頂きたいなと思っています。
     次に、僕が60歳~65歳位の頃には、コーチとしてのピークを迎えたいと思っています。今、僕は45歳なので、あと15年~20年くらいは、しっかりとコーチとしての修行を積みたいです。そして、ピークを迎えた頃には、コーチングで学位が取れる学校法人を地方に作りたいと考えています。何故なら、現在、地方にいって研修をする際に「コーチングって何?リーダーシップなんて誰にも教わったことがない」という話を伺う機会が多いのです。東京・大阪等の大都市圏では石を投げればコーチにあたる程、コーチが多く、研修やメディアなどでコーチングに触れる機会が多いのに比べて、地方ではまだコーチングが浸透していないのを実感します。これは、それを事を学べる拠点が少ない事も関係していると考えているからです。
     コーチングは、ビジネスコミュニケーションにおいて中心的なスキルであるにも関わらず、コーチングスクールはあるのに、専門の学校が無いのはおかしいと思い、自分のキャリアの集大成としても、そういう学校を作ろうと思っています。
     実はやりたい事は、まだまだいっぱいあって、50代には大学や大学院でコーチングの教鞭をとりたいとも思っているんです!!(笑)

One Viewpoint
 小西さんは最初に、「ここに至るまでに自分が思ってもいない自分に変身してきた!」と仰いました。最初は色々な人からのきっかけが有ったのでしょうが、それを「はい!」と素直に受け止め、自ら行動を続けているうちに、「面白そうだ!」と思い始め、のめり込む。そのフットワークの良さ、物事を楽しめる気質が変身を後押ししてきたのかもしれません。「シェルパになりたい」とコーチの小西さんは、クライアントの想いとシンクロしながら、全力で支援しつつ一緒に楽しむ。一方で、自分もやりたい事を掲げ、どんどんと実行に移していく。しかしその姿は悠然としていて、安心感がある。人が声を掛けやすく、それに応えてくれる小西さんの周りには幾重もの人の輪がありました

2024/8/25