「覚悟」を決めれば行動が変わる。
内省を深めながら「ここ一番」の時流に乗る

PROPE+
マネージャー 藤原 さと様 

ご経歴

 学校卒業後、岡崎市の大型サロンで技術を磨きながら、各種大会に出場し数度の受賞歴を重ねる。約5年間働いた後、一旦美容業界から離れ、大手自動車会社の期間従業員として6か月間、美容師とは全く異なる仕事を経験。その契約終了時に、元同僚の独立起業に誘われ、再度美容業界に戻る。
 第2子出産後は自分で開業した個人美容室を経営したのち、PROPE+を夫の大岡聖武様と2012年に創業する。2019年に2店舗目のRQUWAを出店。2024年2月6日にはヘッドスパサロンUTERUS(ユーテラス)をオープンさせた。
 日々店内を観察し、人々を繋ぎながら、自身は内省を繰り返し、走りながら将来を展望している。

  • Q.1.Hair design works PROPE+を開業されるまでに至る経緯をお伺いします。
    A.藤原様(以下 さとさん)
    :私の父は大工で、「女は愛嬌と手に職だ!」という考え方の非常に厳しい人でした。幼い頃からそう言われて育ち、女性が手に職をつけるとしたら美容師かな?と考え、岡崎市の大型美容室に就職しました。しかし、当時は美容師に成りたい!という熱い想いを持っていた訳ではなく、単なる収入を得るための手段位にしか考えていませんでした。今思うと1年目は本当に腐った状態だったと思います。でも、根っから責任感は強いので、お客様に向かい合う時や指示された事、与えられた目標・課題は真面目にやるんです。しかし、熱い気持ちが無いので先輩には非常に扱いにくい新人だったと思います(苦笑)
     
     そんな1年目の私は(いつ辞めようか)と思っていて、先輩にそれとなく相談した事が有りました。
    その時に、「あなた3年も勤めないで、’美容師はつまらない‘とか語るのだけは止めてくれる?」とその方がハッキリ言ってくださったのです。それが心に響き、2年目を迎える事になりました。
     結局それが転機となって、自分自身の事を知る事になりました。1年、2年経つと後輩が出来る訳です。どうやら、私は理不尽な先輩に対しては反発するものの、後輩達には、自分が道を示さなければ、という様な気持ちが湧いてくることを自覚しました。また、その頃アシスタントからスタイリストになる訳ですが、こんなにも流行や技術が更新されていく業界で、新しい事に挑戦もせず、停滞する自分が嫌いなんだなと、気づく事にもなりました。
     
     子供の頃から望んでいないにも関わらず、学級委員やキャプテン等の立場を与えられることが多く、美容師となってからも100名以上在籍するその美容室でメイクリーダーや店長を任されていました。自分の想いとは別にそういう立場に着くたびに、(その立場である以上は責任を果たさないのは嫌だ)という美学も持っていました。しかし、このまま美容師は続けられるけれど、私の人生を考えた時に(美容師しか知らずに納得して人生を生きていけるだろうか)、という拭いきれない思いと、(もっと自由でありたい!解き放たれたい!)という本当の自分の気持ちは置いていかれているという感覚もありました。
     
     当時のこの業界の指標として、スタイリストとしてデビューして1年目で、売上○○円や、○○人以上のお客様に支持(指名)されると「自分は美容師です!」として誇れる数字というものがありました。私は目の前に課題が設定されると闘争心の燃える性格です。夜中まで泣きながらでもウィッグを切るなど、ストイックにトレーニングを積みながら、その基準をすべてクリアしていきました。そして、25歳になる年に一旦、美容業界を離れる事にしました。
      人生の経験として、今度は美容師と真逆の仕事をしてみようと考え、大手自動車会社の期間従業員として半年間働く事にしました。選択した理由は、扱う対象が人でない事、終了時間がきちんと決まっていてアフター5が楽しめる事でした。結果、「半年」という期限のあった仕事だったからかもしれませんが、人生において、とても良い経験ができました。
     
     その仕事の契約期間が終了する丁度その時、以前の職場の同僚が独立する際に、声を掛けてもらった事で、また美容業界に戻る事に決めました。のちに私の決断指標となるそのポイントは、①丁度タイミングがドンピシャな事、②自分に想いがある事、そして③自分にとってキーマンとなる人が現れた時は、その時流に乗るという点だったんです。やはりどこかで美容業界に未練が残っていたのかもしれません。
     
     その誘われた会社で働いていた時に、現在の夫である大岡聖武さん(以下、きよさん)と結婚し、店長として第2子の妊娠6か月頃までそこでお世話になりました。第2子出産の際には、少しゆとりをもって妊娠期間を過ごしたいと思っていたので、退社し家庭に入る事にしました。そうなると今まで夫婦、二馬力で支えていた生活が、一馬力となり次男が一歳を迎える頃、働かざるをえない状況になったのです。
     そこで、どう仕事をしようか?と考えた時に、Aパートに出る、B美容師としてどこかに就職する、C自分で開業する、と3つの案がありました。子どもを抱え、働く上で自由が利き、収入も得られるのは、Cの「自分で開業する」事じゃないか!と、思ったのです。
     
     丁度その時、家の目の前にある知人名義のアパートの1階が、3月に空室になる事が判ったのです。また、その頃、お客様のデザイナーさんが独立するタイミングで、その方に名刺・チラシを作っていただける事が決まりました。まさに①3月に空室がでる(自分の始めたいドンピシャのタイミング)②働きたい(自分の想いがある)③開業の為の名刺・チラシを作ってくれる人(キーマンが現る)という様に、私の決めていた指標にピッタリ当てはまる状態になったのです。そこで、4月の最も早い月曜日、4月5日を開業日にしよう!と決めたら、なんとその日が「カットの日」(365日記念日カレンダーによる)だったんです!!
     本当に時流に乗ったら意味のある日に開業する事が出来た!あの4月5日の事は忘れられませんね。(笑)
     
     その個人美容室でも、お客様とは誠実さと責任感を原動力に全力で向き合ってきましたが、父が大工を引退する最後の仕事を私たちの美容室に、と言う話から、きよさんと2012年にPROPE+を開業する事になりました。しかし、当初は税理士さんに会計処理をお願いする事は出来ません。また、第3子が生まれてまだ3か月。スタッフも抱えて、私は自分で何役も抱え込んだため、忙しすぎて心と体が今までで最もバラバラになるような感覚でいました。
     
     そんな33歳の頃、友人から「一流のアスリートも本番で最高のパフォーマンスを発揮する為に、メンタルトレーナーを付けているんだよ」とあるカウンセラーさんを紹介されました。そのカウンセリングの中で、話をするうちに、「どんな時にも自分らしく自然体でいる事、愛をもって人と接する事、何より楽しむ!」という事が、本当に私が求めていたゴールだったんだと気づく事になりました。それがきっかけとなり、初めて自分の軸、「自分らしく自由でいる事」ができ、人に任せる事や信頼する事が徐々に出来るようになってきたように感じています。
     
     PROPE+を開業して11年になりますが、当初の自分の気持ちと行動がずれている様な苦しさが、今はありません。変化をしている美容業界なので、自分がやりたくて挑戦している時の苦しさはあるものの、その過程での苦しさは納得しているんです。今は大変な事でも、自分のやりたい事の途中だ、と心と行動が完全に一致している感じがしています。
     
  • Q.2.さとさんが、お店を経営する上で大切にされている事は、どんなことでしょうか?
    A.さとさん:開業以来、きよさんとの関係性に変遷はありましたが、PROPE+での今の私の立ち位置は、きよさんとスタッフの架け橋です。きよさんは、判りやすく言葉を尽くして、熱く多くを語るタイプではありません。大事な事、曲げられない事を、ポン!とシンプルにみんなに示す人です。それを私が噛み砕いて、分かりやすいように伝える事を心がけています。
     また、私はきよさんの絶対的なフォロワーでいようと決めています。その今の私から見えているきよさんの良さが伝わる様に、きよさんの‘人を思っての発言’などが間違って誤解されない様に、皆んなが同じ方向から見える様に、フォローする事が私の役割だと思っています。
     
     何故それを意識しているかというと、私は「スタッフ」が満たされる事によって、お客様に最高のパフォーマンスが発揮出来る、と思っているからです。平均年齢20代の離職率の高い業界で、私達のスタッフには40歳以上になってもやりがいや達成感を味わいながら、仕事を続けていって欲しいと思っています。その為の環境整備と目標設定、常に高すぎず、低すぎないパスを出し続ける事が私の仕事かなとも思っています。幹部スタッフにこれを感じとってもらって、何かが伝わればいいなと思ってやっています。
     
  • Q.3.さとさんが、夫であり共同経営者のきよさんをはじめ、人と向き合う時に大切にしていらっしゃる事はなんでしょうか?
    A.さとさん:私は美容師歴がきよさんよりも長く、PROPE+を開業した当初は以前の先輩・後輩という関係性が少し残っていたのかもしれません。どちらかと言うと、私は白黒をはっきりさせて、決断も早く、というスタイルでずっとトップを務めてきました。
     しかし、自分のやり方でやりすぎていた自分が、きよさんの良さを潰していた事に気が付いたのです。彼は向かい合う人それぞれに5:5のバランスで、じっくり考えた上で白黒つけずグレーな所に、絶妙な着地点を見つけ出す人なのです。
     当初、トップとして前に出る私に対して、じゃぁ僕はここに居るよ、って感じでバランスを取ってくれていたのだと思います。でも、当時の私は望んで前に出ていた訳ではありません。パフォーマンスを落とさない様に、責任を果たそうとがんばって人の前に出ていた為に、常に苦しさを感じていました。それが、カウンセリング受けていく中で、自分の中できよさんの事を、(彼はこういう人だ)と決めつけていた事に気が付いたんです。
     その事に気が付いてからは、店の事は私が決めない、話し合いの中で自分の意見は言うものの、きよさんが最終的に決めた事には従う、という様に徐々に信じて任せる事が出来るようになりました。すると結果的に、実は人との向き合い方も絶妙なバランスで着地するきよさんの良さに気がつき、彼自身は全く変わっていないにも関わらず、全く違う世界が見えだしたんです。
     
     人がモヤモヤを抱えている時に、こちらが「大丈夫?」って聞くと、大体の人は「大丈夫です」って答えると思うんです。しかし、顔は浮かない。そんなスタッフには、愛と覚悟をもって「大丈夫じゃないでしょ、ちゃんと話をしよう」と一歩踏み込む事にしています。そりゃ、メチャメチャ怖いですよ。蓋を開けたら、私には解決できない様な、もの凄い大きな事が待ち受けているかもしれないですから。
     ではなぜ、そこまでするかと言えば、原因の多くはコミュニケーション不足による誤解だと思っているからです。仕事上の、その人には見えていない誤った捉え方による誤解を解決したい、原因があるならそれを取り除いた方が絶対に楽になる、と思っているからです。これはやはり、きよさんとスタッフの架け橋をしている私だからこそ、当然やるべきだと思っていますね。
     
     実は、2023年に「私は人と向き合う!」って決めたのです。今までも(私は人が好き)という感情には気がついていました。しかし、人には感情があるし、やっぱり面倒臭い面もありますよね。だから長い間、ずっとその自分の感情に蓋をしてきました。でも、ある時、絵画を鑑賞していて他の人は全体を見たり、色合いを見ているのに、私は(この絵を描いた人ってどんな人で、どんな感情でこれを書いたのだろう)と、「絵そのもの」より「書いた人自身」に興味があると気が付いたんです。それがきっかけとなり、やっぱり、「人が好き!」っていう感情の蓋を開けようと決めたんです。
     「決める」と行動が変わりますよね。人と向き合う事は簡単じゃないけれど、人と向き合う事で自分の人格が発揮されるし、自分の少し得意な事がきよさんの助けにもなる、と思えました。そう考えると、今まで自分の中で蓋をして葛藤してきた感情や想いが、本当にすべて整理され・合致したので覚悟を決められたのです。
  • Q.4.さとさんが、これからやりたい事はどんなことでしょうか?
    A.さとさん:嬉しい事に、今の幹部スタッフ達はリーダー気質を十分に持っているし、そのうちすごいスピードで走っていける人達なんです。 
     その幹部スタッフ達がトップとなり、先頭を走りだした時に「○○したの〜?すごいね!やったね!頑張ったね〜」と縁側で孫をただただ目を細めて、認めて受け入れて褒めるおばあちゃんの様な存在になりたいです。

     「さとさんなら自分の事を絶対的に受け入れてくれる、信頼してくれる、判ってくれる」という安心感のある関係性を作っていきたい、私は、そんな人に成りたいです。
     

One Viewpoint
 自分の気持ち、想いを秘めたまま、望まれるポジションに責任感を持って立ち続け、必ず成果を出してきたさとさん。器用だからこそ、自分の気持ちには蓋をしたまま、後輩やスタッフを全力で支援し、前に立って守ってきました。そのさとさんが、常に自分自身と対話を続けてきた事で、①タイミング、②今の自分の想い③キーマン登場、という偶然の一致かの様な指標が揃う瞬間を見逃さずにいるのだと思いました。
 「2023年に私、人と向き合うと決めたんです!」と毅然と言いきったさとさんには、リーダーとして立ち続けた責任感の基盤の上に、自然体を体得した喜びと共に覚悟を込めたしなやかさを感じました。

2024/3/18