俯瞰と内省の中で一つ一つ戦略的に選択し、
出会いの縁を繋いで進む

一般社団法人コーチングプラット
フォーム コーチ・事務局
白鳥 智春様 

ご経歴

 埼玉県の農村部に生まれる。両祖父母とも教員で、小さな町では良くも悪くも目立つ存在であり、周囲の目を気にしながら育つ。高校で琴を習い、大学で民族舞踊を踊り、戦略的に自分のコンプレックスを解消していく。SEとして入社した会社で、当初は自分だけが居場所が無い様に感じていたものの、存在承認をしてくれる上司や望む仕事に出会い17年間勤務する。あるきっかけでコーチングを経験し、学んだことで様々な団体の事務局長として、仕事を引き受ける様になる。現在は一般社団法人コーチングプラットフォームのアシスタントコーチとしても活躍中。物事を論理的に考え、内省やリフレーミングを繰り返す中で、自己基盤を整え、動き出す前の準備・計画を怠らない日々を送る。

  • Q.1.現在に至るまでの、経緯をお願いします。
    A.白鳥 智春様(以下:智春さん):
     私は父方の祖父母と両親・3歳下の弟の6人家族で、埼玉県の農村部で育ちました。私自身の形成に非常に大きな影響があったと思われるのは、両祖父母の4人全てが地元の学校の先生だった事です。中学生時代までは、どこに行っても「あぁ、あの先生のお孫さんね」と言われていました。その為、ずっと周囲の目を気にして育ちました。一方、昔の田舎の学校の先生のコミュニケーションのスタイルには、「命令」以外はなく、祖母と母の関係は悪いものでした。家庭内でも私が何か良からぬことをすると母がいじめられる為、良い子でいました。後に大学で家族社会学を学んだ際にその構造を初めて理解したのですが、子供の頃から無意識に母親に迷惑を掛けない様に、と思って生きてきた様に思います。
     そんな中学生時代までを過ごした後、電車で20分位の所にある女子高に進学しました。その高校への進学は町から一人だけだったため、最初の一週間は緊張のあまり神経性胃炎で倒れるほどでした。しかし、中学までとは違い、高校では先生に贔屓されたりもしない普通の生徒として、初めて羽を伸ばす事が出来ました。
     当時の私は楽器が弾けないことをコンプレックスと感じていました。高校生になってからピアノを初めても幼少期から習っている人には追い付けないけれど、初めて習う楽器なら追いつけるかもしれない。そう考えて琴部に入りました。真面目にコツコツと努力した事で、全国高校文化祭邦楽の部に出場し、合奏したりしました。勉強も部活動も一生懸命やる質実剛健な女子高での体験は、自分自身の形成に大きく影響したと思います。高校進学一週間で緊張のあまり神経性胃炎で倒れた私が、大学受験の際には級友と誘い合わせて行けるまでになり(田舎者の私がここまで頑張ったな。1人で出来るようになって成長したな。)という気持ちになりましたね。
     大学では運動神経が無いという次なるコンプレックスを解消しようと思いました。ここでも、皆が大学生になって初めてやり始めるもの、更に競わないものは何かと考え、踊りであれば周囲に引けをとらずに出来るだろうと考えました。慶応義塾大学と合同のフォークダンスクラブに入り、バルカン半島(当時のユーゴスラビア、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー等)の民族舞踊を踊り始めました。このように高校・大学時代の自分は、戦略的に考え選択して、コンプレックスを克服していきました。やりたいことをやる、という選択ではなく上手くできそうなことを探すスタンスだったと思います。

     その後いよいよ就職活動をする時期になった時に、私の所属したゼミの11人中、3人が大学院進学、公務員を目指す就職浪人が2人と聞いた時、(みんな、いつ勉強をしていたの?自分だけ何て呑気に生きてきたのだろう!)と、非常に驚いた事を覚えています。私は会社員になる以外の選択肢を考えた事がありませんでした。今思えば視野が狭かったし、将来についての考えも浅かったと思います。
     卒業後は銀行系システム子会社の第1期生として就職しました。当時は手に職も付けられていいかと思いSEという職種を選択しましたが、入社して直ぐに(何だかうまくいかない)と思い、いつ辞めようかと考えていました。自分としては一生懸命やりたいと思っているにも関わらず、なぜか自分だけがのんびりしている部署にいつも置かれている感じがあって、会社の中に居場所がない、常に自分だけが置いて行かれる様な感じがして辛かったですね。その中にあっても、徐々に自分に対して存在承認をしてくれる上司や頑張れる仕事に巡り合ったりして、結局17年間勤務しました。

     40代になる直前の頃、周囲の人から「コーチングに向いているんじゃない?」と言われた事があり、会社で契約しているコーチング研修を軽い気持ちで受講してみました。コミュニケーションがスキルだ、練習すれば身につくんだという考えに衝撃を受けました。よし、やってみよう!と思い残業続きだった仕事を辞めて本格的にコーチングを学び始めました。初めて自己投資をしたこの学びは、非常に楽しかったです。当時は会社を辞めていたものの、まだ、コーチを職業にしようとは思っていませんでした。それでもコーチングを学び続ける中でコーチング勉強会の受付を手伝う様になり、その私を見ていた日本コーチ協会東京チャプター幹事の方が、「幹事をやらない?」と声を掛けてくださいました。15、6年くらい前の事です。この頃の東京チャプターは、積極的にイベントを開催していて大正大学でコーチングフェスタというイベントを開催しました。200人規模のイベントの裏方(事務局・経理)はすごく大変でしたが、部活動のように頑張りましたし、楽しかったですね。
     
     その事務局ぶりを見て下さった方からお声掛けがあり、事務局・経理として一番多い時には5団体ぐらいの掛け持ちをしていました。(今は契約社員としても働いているので2団体に減らしましたが。)事務局の仕事としては、受講者の受付・問合せ対応、お金周りの事、HPに掲載する内容の手配、アシスタントコーチの管理等諸々があります。以前は事務局のみの立場でしたが、5年程前からは、自分もコーチ仲間に入ろうと思い、(一社)コーチングプラットフォームの講座を受講した上で、今は積極的にアシスタントコーチもやっています。現在、事務局とコーチの業務割合は85%:15%位でしょうか。

     今は「未来が見えないと生き辛い」とか「キャリアを考えないといけない」と思っている人が多い様に思います。私も「未来の仕事の事」となると途端に考えられなくなります。それでも、こうやって目の前の事を一つ一つやってきました。それを見ていてくれる人、声を掛けてくれる人がいて、私がそれを受入れてきた事で、今がある様に思います。
     
  • Q.2.智春さんが個人事業主としての経営上、大切にされている事はどんな事でしょうか?
    A.智春さん:
     大切にしている事の前に私が嫌だと思っている事は、「この人には仕事を頼まない!」と言われる事です。以前ある知人が「あなたとはもう二度と仕事はしたくない!って言われたわ。あはは!」とあっけらかんと言っているのを聞いて、非常に驚いた事が有りました。(それって、平気な顔で言える事なの?)と、思うと同時に、私はそれだけは絶対に嫌だと強く思いました。この人にまた頼もう!と思って貰いたい。その為に大切だと思っている事は「信頼」です。更に、私は一緒に仕事をする「仲間」も欲しいのだと思います。

     事務局だけの時と比べて、アシスタントコーチを始めて大きく変わった事は、アシスタント仲間がいると団体への帰属意識が全然違うということです。この帰属意識が持てた事で、充実感も大きくなりました。
     事務局だけを務めていた時は、SEとして働いていた時の様に「自分だけ置いていかれるような帰属しきれていない感じ」があったのです。更に今は、自分の帰属する所、自分の居場所をいくつか持っていると言う事も大切になっている様に思います。その帰属意識の表現が「信頼・責任感・誠実さ」として表れているのかもしれません。そういえば、契約社員として働いて4年目になりますが、最近「うちの会社」と初めて言った事で(あ、この会社にも帰属意識が出来たんだ!)って思いました(笑)
     
     また、感情が荒ぶっている時には碌な事をしないと思うので、自分の気持ちの安定も大事にしています。そのために、例えば、誰かに理不尽な事をされた時には(これは何かのサインね。今後の参考になるよね。)と、リフレーミングをしています。最近はリフレーミングが得意だな、と認識し始めました。
     本来、私は結構気が短くて、若い頃は売り言葉に買い言葉をやっていた記憶があるのですが、最近はリフレーミングの速度が速くなって、買い言葉を発する前に思いとどまれるようになったように感じます。
     今後のことで言うと、今の契約社員を退職した後は経営者としての視点を持っていたいと思っています。ヒマラヤを超えるアネハヅル位の、高い視座・広い視野を持っていたいですね。(笑)
  • Q.3.多くの方と日常的に接している智春さんが、人と向き合う時に最も大切にされている事はどんな事でしょうか?
    A.智春さん:
     事務局で受講者やアシスタントコーチと向き合う時には、ルールは死守するということ。ルールを守る事で私の帰属する団体に対する信用・信頼が揺らがない様に、基準をしっかり持っていたいのです。
     とは言え、あるルールを一律に適用する訳ではなく、強くて正しい熱量に対しては、ルールの大枠の中で出来るだけ応えるというやり方です。臨機応変な対応こそが公平なんじゃないかと、最近は思っています。その為にその人の熱量や、誠実さとは個別に真摯に向き合っている様な感じですね。
     常に人との繋がりはその場限りとは思っておらず、出来た繋がりは巡り巡ってくる。だからより一層、人と誠実に向かい合う事を大切にしようと思っています。
  • Q.4.今後ご自身がやりたい事はどんなことでしょうか?
    A.智春さん:
     現在私が契約している会社の文化の中に、私が退職した後もコーチングやポジティブフィードバックのエッセンスがなんとか残るといいな、と思っています。私はそれら(コーチングやポジティブフィードバック)がある会社の文化は、社員を幸せにするための仕組みじゃないか、と思っているからです。私がこれまで関わって来た人には幸せであってほしいなと思います。
     仕事関係については、自分が何か新しいものに対応出来なくなった時に、いつかは手放さなければならない時期が来るだろうな、と言う事も考えます。美しい店じまいが一種の理想かな。
     趣味に関しては、遺跡や化石の発掘とかやってみたいです!(原点思考;クリフトンストレングス) 

One Viewpoint
 智春さんは「自分自身の整理をするために」と、私のインタビューに申し込んでくださった初めての方です。
そのインタビュー中、話されながらも「これは、初めて言葉にする事ね」とか「こんな言葉が出てくるとは思わなかったわ」と、反芻や・内省をされているご様子でした。最後に、このインタビューの意図を再度確認された上で、最も伝えたい事として「未来が見えなくとも、キャリアを描けなくとも何とかなる!という事を伝えたいわ」とおっしゃってくださいました。ご自身を俯瞰し内省を繰り返しながら、目の前の事に対して戦略的に選択し、全力で向き合われてこられた智春さんだからこその言葉には、未来を前に佇む人の背中を温かく押してくださる力強さを感じました。

2024/12/31