常に観察と熟慮。人の幸せを願う強い信念をもって、内・外の両面から支援を続ける

ヘアメイクアップアーティスト
メイクアップ講師
韓方茶カフェ・Tea Therapy 正規
代理店、韓方茶ティーセラピスト
木村 直美様
ご経歴
学校を卒業後、25歳社長が展開するDPE(写真プリント事業)の女性活躍を謳うベンチャー企業に就職。企画室・社長室業務を行うが、出張等多忙による体調不良で退職。ゼネコンの下請け会社に事務職として再就職。生活は安定はするも、変化のない毎日の中で、自分が好きで得意な事の専門スキルとは何かを模索する。
自分の好きと得意が生かせるスキルとして、メイクスクールを検討し技術を学ぶ。その後、日野 一美氏に師事し、ヘアメイク事務所「テクノクラート」にてヘアメイクアップアーティストとして活動・7年在籍のち独立。東海3県を中心にヘアメイクアップアーティストとして約20年活動。主にブライダル、撮影、イベントやショーなど現場で活躍するかたわら、ヘアサロン、美容、観光、ブライダルの専門学校にて、ヘアメイクの講師としても長きにわたり活動。女性が美しく輝くためには、外見のみならず内面のバランスを整え心身の健康が不可欠との想いから、韓国の東洋医学、韓方を学び、韓国ソウルにある韓方茶カフェ・Tea Therapy の日本正規代理店となり、オンラインにて韓方茶を販売。現在は精力的にイベントへの出展やワークショップなどで、韓方茶の魅力やカウンセリングティーによるセルフケアの重要性を紹介している。
Instagram:https://www.instagram.com/teatherapy.jp
韓方茶 HP:https://www.teatherapy.jp/


- Q.1.現在に至るまでの、経緯をお願いします。A.木村 直美様(以下:木村さん):
【幼少期~学生時代】
色々な転換期は有ったと思いますが、幼い頃から自分自身の在り方は、あまり変わっていない様な気がします。
幼い頃は人見知りが激しく、何かの機会に注目されると恥ずかしくて話せなくなり、押し黙る位、繊細で目立つのは嫌だけれど、信念というか、自分はこう思う、と言うものは曲げないというか。大人の言っている事をじっと見聞きしながら、心の中で(それってこうじゃないのかな?)と、意見は声に出して言わないけれど、自分の考えに沿わなかったら従わない。何か言われそうな時は察知して、先回りして段取りしながら自分の納得がいくようにする。たぶん大人からは、ちゃんと言うことを聞く従順な良い子、と見られていたと思います。
成長する中で様々な経験を経て、社会のコミュニティの中で少しずつ自分の考えを表現するようになっていき、小学校・中学校でたまたま学級委員長をやる機会が有り、今、改めて思い返してみると、自ら望んだわけではないけれど、自然とリーダーシップをとる立場を嫌がらず、すんなりと受け入れていたようです。
とはいえ、先頭で引っ張っていく様な、目立つリーダーシップではなく、みんなの意見や考えを吸い上げてまとめあげていくというか、みんなの均衡が取れる意見を差し出すようなリーダーシップ?をなんとなくやっていたように思います。みんなが一致団結して、盛り上がっているのを見る事がとても楽しかった気がしますね。
【就職~メイクアップアーティストとして独立】
就職する頃になると、自分が良いと思っているアイデア・モノ・企画を作りたい、そういう事が出来る会社に行きたいと漠然と考えていて、同級生が金融系・信販系等の会社を探していましたが、私にはどうもピンときませんでした。
その頃、25歳の社長が起業して成功しているベンチャー企業を見つけました。若い会社で、女性の活用にも積極的で、色々なアイディアを出して自由な発想を活かして欲しいと仰っていた事に感銘を受け、その会社に入社。企画室や社長室を経て、2年位経った頃でしょうか。若さゆえに行き詰ったり、出張や残業も本当に多く忙しくて、体調を崩した事から、次第にメンタルもやられていきました。(これは続けられないかも・・・)と自信がなくなり、退職。今思えば、これらの不調は体の冷えから来ていたと思いますね。
その後、アパレル等販売のアルバイトをしたり、家業を手伝ったりしましたが、このままではいけないと思い、再就職。ゼネコンの下請けの会社で、電話番・簡単な事務処理やお客様対応等の事務系の仕事で、でも事務所には私1人きり。お給料等は何の問題もなかったのですが、勤め始めて1年位経ったある日。ふと窓から見える景色がいつも同じだという事に気が付きました。(この時間の使い方、自分の若さの使い方は、人生の無駄遣いではないか?これは私らしい生き方なのか?)と言う事を考え始めました。
当時の世相は凶悪事件が頻発していて、日本経済も不安定な状態でした。そのような社会不安の背景もあり、女性が一般事務ではなく手に職・スキルを身に付ける事が流行しはじめた時代。今の事務職以外に好きなこと、得意なことで専門のスキルを見つけてみようかな?と考え始めました。
友人に「あなたはメイクをするのが好きじゃない?」と言われたこと、また、前職で社長室の仕事をしていた頃に、色々なシステムの使い方を各店舗に赴いて指導する業務を担い、その経験から、私は人に教える事が意外と得意なのかも、と気が付いた事で、自分の好きな事と得意な事を活かせる、「メイクの仕方を教える先生になろう!」と決意しました。
1年をかけてメイクアップを学ぶ所を調べ、ヘアメイクアップアーティストの所属事務所が開講しているメイクスクールを見つけ勉強することに。月曜・土曜の週2回の授業に通える様に職場で調整をしていただき、2年かけて卒業レベルまで勉強を続けました。お稽古事なら「卒業」で終了しても良いのですが、折角学んだこの技術。私の「メイクの仕方を教える先生になろう」という決意をどうするか?と考えた時、この技術を生かすには、メイクアップアーティストとして自立して働くと言う事。職業観を180度変え、この技術で生きていくと決めるまでに半年ほど真剣に悩んだ上で、メイクアップアーティストになる覚悟を決め、事務所に所属しました。
振り返れば、自分は幼い頃からストーリーを考えて絵を描く事が好きでした。描いたりデザインする事、人を綺麗にする事と人に何かを教える事、私の好きな事と得意な事のすべてが揃ったこの仕事に辿り着く事が出来ました。本当に私は「天職」に出会った!と、改めて感慨深く、飽き性の私が、この仕事を今でも続けていられることに心から有難さを感じています。
当時、私は20代後半で、他社での社会人経験もあり、社会の仕組みをある程度は理解していました。ヘアメイクの現場に出てからも、クライアント様やお客様に対しどういう動きや働きをする事が大切か、という事を先輩アーティストの方にアシスタントとして付く中で、多くの事を学ばせて頂きました。多くの経験を重ねる事で技術・仕事の幅・レベルも上がっていき、次はこの仕事、次は・・・と、継続的にお仕事をいただきながら夢中で7年間勤めしました。当初から事務所には「メイク講習の活動をメインにやりたい」と申告しつつ、その他にも、ブライダル、成人式、ファッションショー、舞台系のメイク(ミュージカルやオペラ)なども担当させて頂きました。
その中でも舞台系のメイクはストーリー、演出、それぞれのキャラクターに合わせて作るため、より高い技術が必要になる仕事です。また、沢山の専門的な裏方のスタッフ様や演者様とひとつの舞台を一緒に作り上げる、毎回違う緊張感や達成感を味わえる仕事。私にとっては緊張感と共に大変やりがいのある楽しい仕事でしたが、体力的にも気力的にも本当にきつい仕事でしたね。
午後7時からの公演に合わせて午前中に通し稽古、リハーサルが有り、その時から本番と同じ様に作り、その後も本番に向けての直しや衣装替えが有ります。本番中もストーリーに合わせて演者様の髪やメイクを変える対応が続き、午後9時に無事終演を迎えると、翌日の舞台の為に片付け・修正箇所のミーティングなど、一つの公演が始まると公演期間中ずっとこの生活が続きます。公演がダブルキャストだと同じ物を2回準備する等、それら全てを衣装さんとメイクのチームで対応するのですが、期間中は気力的にも体力的にも私にとっては本当に大変でしたが、高い技術を常に求められ、自分のやりたい事で達成感を味わえる、本当に楽しい仕事でした。機会があり、気力・体力が整えば、今でもやりたい仕事の一つです。
舞台の仕事だけでなく他の様々な仕事を通して、本当に多彩なアーティスティックな方と出会い、人種・性別・様々な世代や各業界の専門分野のプロの方々と関わることにより様々な経験を積むことが出来、非常に勉強になりました。元々人見知りだった自分も、必然的に人とのコミュニケーションの必要な場面が多かった事で、本来の性格とは関係なく、プロとして当然に必要なコミュニケーション能力が培われました。もし、今の教え子の学生たちが技術者としてフリーランスでやっていくなら、プロとしてのコミュニケーションは必要な能力だと常々教えています。
夢中で日々走りながら、本当に好きなこの仕事を続けてきましたが、ふと仕事オンリーになっている自分自身の生活を振り返りました。(私は家庭を持ち自分の子供を幸せにしたい、と常々思っていた。まずは「自分にとって何が幸せかを考え実践していこう」と、この仕事をしてきたけれど、果たしてこのままずっと同じように続けていていいのか?)と。このままだと、仕事漬けの日々をこなしているだけの毎日になってしまう。「家庭を持つ」という幸せも真剣に考えなければ・・・と思う様になりました。その頃には仕事も経験を重ねてきた事で、「独立後も仕事を頼むよ!」と言って頂けるクライアント様も増えてきました。まずは結婚をして、仕事内容や時間・スケジュールを自分で選べるフリーランスになるには今しかない!と、約7年所属した事務所の登録アーティストを辞めてフリーランスとして独立しました。
独立後、引き続き頂ける仕事をしていた所、今まで紡いだご縁から、本当に有難い事に、新たな大手のクライアント様からお仕事を頂く機会に恵まれました。こう言っては何ですが、現在に至るまで、ヘアメイクのお仕事で営業ということをまともにしたことがありません。名古屋という土地柄もあるのでしょうが、ご縁があった方からのご紹介でお仕事の依頼を頂く事が多くて、例えば「○○というところがこういう仕事ができる人を探しているけれど、木村さん、どう?」と言って下さる多くの機会に恵まれてきました。非常勤講師としてある専門学校に勤めていた時も、ご紹介などで他校からも声が掛かり、一週間ずっと学校の授業を受け持つなど、本当に様々な学校で講義をさせて頂きました。
ある時、名古屋で創業された大手レストラン事業の会社が、ブライダル事業を立ち上げることになり、知り合いからその婚礼の美容をお願いできないか?と声が掛かりました。正直なことを言えば、当時は結婚することも視野にいれ、フリーランスになったのです。その仕事をお請けするつもりは無かったのですが、お世話になっていた着付けの先生のご助言もあって、ヘアメイクや着付けのお仲間達と協力し、その立ち上げに関わる事になりました。
仕事は、婚礼美容の担当スタッフのキャスティングに始まり、様々な現場対応の全責任を負うもの。現場での仕事の経験は積んだものの、マネジメント業務は全くの未経験。私自身もプレイングマネージャーとして、現場仕事とマネジメント業務を忙しくこなすことになっていきます。
その時に、若いながらも、社会的立場や会社としての成り立ちの難しさやリスクを、少しずつ学ばせて頂きました。先方は大手企業です。一介のフリーランスである個人の自分では信用されないと思い、当初は家業の法人の肩書を使い、お取引をさせていただきました。当初はマネージメント業務の経験が皆無だったため、それこそ以前の事務所の業務システムを参考に、これまでの社会人経験も活かしつつ手探りで始めてみました。だんだんと業務が多くなり、私も現場に出ているとマネジメント業務が滞ってしまいます。今までの人脈を生かして、マネジメント業務を担ってくれる方にお願いする事ができ、大変助かりました。それからも様々な問題に直面した時は、素直に諸先輩方に教えを請い、まさに一から教えていただきながら、マネジメント業務の経験を積み重ねました。
その企業様のブライダル事業は当時全国で会場が5~6か所と急成長していき、名古屋の会場はすべて私達が請け負っていたため3~4年間は文字通り無我夢中で業務と施行をこなしていきました。そのブライダル事業の立ち上げから、発展、拡大までをスタッフ様と一緒にがむしゃらに取り組んでいったおかげで、自分自身もたくさんの学びを得て共に成長していった、という実感が有りますね。そんな形で仕事を続けていると、有難いことにまた他からもお声掛け頂く機会に恵まれ、どんどんと仕事の幅が広がっていきました。その当時から仕事でお付き合いをしていた方々とも信頼を積み重ね、20年ほど経過した今でも仕事のご依頼を頂ける事は本当に有難い事ですね。
【重責からのプレッシャーによる体調不良~Tea Therapyとの出会い】
様々な出会いのなかで、責任の重さに対するプレッシャーやストレス、メンタル的なことや先行きの不安も感じて思い悩んでいた矢先、たまたま開運指南の先生と出会い、色々な仕事上の悩みをご相談させていただく機会がありました。社会的にもプライベートでも、心の在り様で人間関係も変わると言う事を、丁寧に判りやすく教えて下さいました。その先生が、「あなたは仕事が楽しくてそれが生きがいになっている人。運勢的・性格的には喫茶店が合っていますよ。」と言われたのです。ん?喫茶店??カフェは普通に利用していましたが、特にコーヒーが好きでも無く・・・。その時は、あまりピンと来ませんでした。
その後、今から15年くらい前に刊行された美容専門雑誌の「今、ニューヨーク、ソウル、東京、パリで流行っているもの」というトピックス特集を読んだ時、その中の「韓国で美容Caféが出来ました!」という記事が目に飛び込んできました。
それを一目見た瞬間に「あ、これだ!私がしたいカフェはこれだ!」とひらめいた事が、今、私が展開している、「韓方茶Tea Therapy」の販売を始めるきっかけになりました。開運指南の先生にアドバイス頂いた「喫茶店」が、自分の中で点と点が線として繋がった瞬間でした。
日々の業務に疲れ切った時や、婚礼のオフシーズンを利用してリフレッシュするために、私は大好きな韓国に一人で旅行に行く事もあり、(この韓方茶カフェのオープンを実現できたら、今まで私が求めていたものが全て形になる!そして韓国に関わりながら仕事ができる!)と思いました。
お客様にメイクを行うカウンセリングの中で「くすみをカバーしたい。シミを消したい、目の下のクマが…」など、女性達の美容の悩みをお聞きする事も多くあります。メイクで隠す事は出来ますが、「普段からこういうカラダのケアに気を付けるといいですよ」と、自分自身の経験から自然に、日常でのセルフケアについてアドバイスをさせて頂いておりました。実は常々思っていたのですが、私からお見受けするに、その美容のお悩みの原因は体の不調の場合が多く、健康に気を遣っていれば出てこないであろう美容の悩みが本当に多い様に思います。
現代社会において、働く場でも男女平等が謳われ始めると、仕事量も男性・女性の差もなく要求されることが当たり前と認識されています。そうとは言え、一般的に生物学的には、やはり女性は体力的に劣る場合や女性ホルモンの影響でメンタル的バイオリズムが揺らぎやすい傾向も。一概には言えませんが、自分が体調不良で仕事を退職した経験から、女性が仕事を続けていく為には、きちんと体調管理をしていく事が必須、と当時から認識しており、女性のカラダはそういうもの、という概念が私の中で定着していました。
思い返せば、体力的にハードな舞台系のメイクアップを担当していた時も、舞台が始まる数日前から、まるでアスリートの様に、自分も自然に食事等による体調管理をして仕事に臨んでいました。そうしないと高い集中力を要する仕事で、気力も体力も消耗していき、同じ技術レベルを発揮しながら、最後まで走り続けることができなかったのです。
美容Caféの特集を見た私は(この商品を扱えないだろうか、日本でこのスタイルのカフェを出来ないか、その為にはTea Therapyというこの店と業務契約をすればいいのでは?)と直感的に思ったのです。
その直感から私は急いで航空チケットを手配し、わずか2週間後に韓国へ飛び、そのお店を訪れました。実際に私の体調をカウンセリングした上で、オリジナル韓方茶を処方していただく体験を通して、(本当に素晴らしい!私がやりたいのはこれだ!)と心から実感したのを覚えています。その場で日本の名古屋でこの店をやりたい、とオーナー(韓方医学博士)とその奥様にお話したところ、すぐに契約可能との回答を頂きました。その当時、お二人もこの韓方茶をどのように広めていこうか、と言うビジョンを丁度模索されていた頃だった様です。とはいえ、急に契約を、と言われてもこちらも何も準備していなかったので、一旦そのまま日本に持ち帰りました。契約内容と書類の準備をし、母と連れだって改めて1ヶ月後に渡韓し、自分達の目と耳でしっかりと確かめながら先生方と対話し、十分理解と納得をした上で契約に至りました。
当時、日本の加盟店としては九州でカフェを開店していた方に次ぎ、私が2店舗目の加盟店となりました。その頃は、メイクアップの仕事も多忙だったので、まずはオンラインショップとして、3年後位にカフェを開始するという計画で、開始するための手続きやECサイト開設等の準備を一気にすすめていきました。またその頃、タイミングよく日本のテレビや雑誌などの著名なメディアで、ソウルのTea Therapyカフェが取り上げられたり、韓国のガイドブックにも長年掲載され続けたため、特に広告宣伝をしなくても静かに認知は広がっていきました。
因みに当時の韓国でも韓方は年配の方が愛飲する、苦くて高くて飲みにくいもの、という認識だったようです。それを韓方医学博士イ・サンジェ先生は、韓方薬の材料を独自の研究で美味しいお茶の形に開発し、若い方達にも気軽で日常的に飲みやすいものにアレンジしました。更に気軽に受け入れられる様に、オシャレなカフェスタイルの「Tea Therapy カフェ」をオープンされました。また、サンジェ先生の奥様キョンキョンさんが長年日本に留学されており、日本語がとても堪能だったため、ソウルのお店に来店される日本人旅行者の間で、またたく間に受け入れられていったようです。
私も美容学校の講師を4,5校を抱えて大変忙しかったのですが、その合間を縫ってカフェを開業するための物件探しや運営のためのリサーチを続けました。
色々と紆余曲折を経て数年後、本格的に開店させる意志を固め、1件、とても気に入った古民家に巡り合い、このお店だ!とインスピレーションが閃いたのです。コロナ禍が始まる半年くらい前の事です。婚礼の仕事で知り合った方が和婚(和式婚礼)専門の婚礼プロデュース事業を展開しようとしていた事もあり、共同でその古民家のレンタルをして、それぞれの事業を始めようと具体的な話に合意したのでした。
ところが、その話合いをしたわずか2日後。不動産会社からの連絡で、大手企業が先にその古民家と契約をしてしまった事が判りました。既に具体的なビジネスプランも描いていて、古民家オーナーとの話も進んでいた矢先の事でした。本当に未練たっぷりで泣く泣く諦めたのですが、わずかその3か月後、コロナウィルスの蔓延で世界中の動きが止まりました。よく友人に言われる事が、「あの時にあの場所でカフェをオープンしていたら、先行きの見えない中で古民家の改装費と賃料を払い続けていなければならなかったね」と。当時、あの契約ができなかったのは本当に残念でしたが、神様ご先祖様のお導きかと思いましたね。
【コロナ禍による転機~現在まで】
そして皆さんもご存じの通り、日本中・世界中がコロナ渦に陥り、当然、本業の美容の仕事も全てストップする状況に。美容もお客様と接触する仕事です。婚礼も一時期取りやめや延期、挙式を挙げられても身内やご親族だけの式とされる等、極端な施行数の減少に、全く先行きが見えなくなりました。(何かの流れが変わってしまった・・・)。そんな状況で先行きのことを考える中で、ヘアメイク業務をこなし続ける事への体力的な不安もあり、これを機に、Tea Therapy事業を本格的に拡げていきたいと考えるようになりました。
その頃、Tea Therapyを開発したイ・サンジェ先生も研究の傍ら、韓方医学や韓方茶の素晴らしさ、この知識や効果をそれを求める方々に伝え拡げていきたいという思いから、「東医宝鑑アカデミー」という講座を日本で開講する事になりました。初めは東京で開講されたのですが、日本全国から韓方医学のメソッドやTea Therapy の韓方茶に関心がある方々が集まり、私もその講座をお手伝いする形で関わっていきました。
私が加盟店を始めた頃に、開業するための基本的な知識として、サンジェ先生に、ほぼマンツーマンで韓方医学やTea Therapy の韓方茶の知識・捉え方を教えて頂きました。しかし、アカデミーでの講義の内容は自分が学んだ頃の内容よりもさらに深く、様々な視点から成り立っている事に気が付きました。また、参加者の中には中医学を勉強された方、鍼灸師の方、薬剤師さんなど、カラダや東洋医学に対し知識も関わり方ももっと深い方々がたくさんいらしたのです。
Tea Therapy の正規販売店として、このお茶を扱う立場の人間・ティーセラピストとして、もっと深くきちんとした理解と責任を持って販売していかなければいけないと思い、改めて韓方茶と韓方について学び直しをする必要性を感じました。アカデミーを上級講座までしっかりと受講させて頂きましたが、まだまだ学ぶべき知識や考え方・観点はありますし、今も勉強も続けています。
自分が得た知識や観点を基に、カウンセリングの中でお客様に説明させて頂くと、「カラダや不調と向き合うきっかけになってきました」や、「美味しくお茶を飲んでいることで本当に悩みが軽くなってきました」等と、お聞きする事が増えてきました。この事からも以前とは比較にならない程、ティーセラピストとしての自分の理解が深まってきているとの手ごたえを感じられるようになりました。
皆さんに体調管理の大切さを受け入れて頂き、また更に喜んで頂けることが本当に嬉しく、また少しずつティーセラピストとしての自信もついてきました。私がずっとやりたいとイメージしてきたこと、この先このTea Therapy の事業をすすめるということに、やっと自信と勇気が湧いてきたのです。15年間なかなか思った通りには進みませんでしたが、地道にやってきた事でやっと少しずつ、地固め出来てきた感じです。
自分なりの方法でこのTea Therapyの素晴らしさ、韓方・東洋医学の考え方の大切さを広めるお手伝いをしていこうと考えています。私は常に、女性たちに喜びと生きがいを持って自分らしく楽しい人生を過ごして欲しい、という想いを持っています。その為には、まずは資本になる健康なカラダが必要。その健康なカラダをどのように作り、保っていけば良いのかということを、私自身の経験と学んだ知識&Tea Therapy の韓方茶で具体的に伝えることが出来る。私が好きでやってきた美容とTea Therapyを、外面からも内面からも、より美しく、イキイキと生きていく為のアドバイスとして、それを必要とする女性たちに提供し、またご自身の不調や悩みに気づいたり顧みる良いきっかけにしてもらいたい。
日常に溶け込みながらも「自分を大切に扱うきっかけとして大変に役に立つものである」と評価を頂けたことから、私は大きな自信と勇気を得ました。更に、今後もたくさんの方にご利用頂けるよう、ささやかながらプライベートティーサロンを用意し、Tea Therapy のメインメニューである、その方の不調やお悩み・お好みをお聞きしながら、その方だけのオリジナルブレンドティーをお作りするカウンセリングティ、「ナマネ茶(韓国語で‘私だけのお茶’)」のブレンドと販売を始めるに至りました。
- Q.2.木村さんが経営をする上で大切にされている事は、どんなことでしょうか?A.木村さん:
どのお仕事も同じだと思うのですが、最初はご紹介で頂いた目の前の仕事を一生懸命やる事だと思います。そのお客様やクライアントが満足して頂ければ、再度お声がけをいただいたり、また別のクライアント様をご紹介頂いたりという様に、信頼を頂けた事で次の仕事に繋がり拡がっていったように思います。その時その時で自分も楽しみながら、全力でやった結果としてお客様に満足していただく。それで自分も達成感を覚え、また次の仕事に繋がっていきました。
今は、韓方茶やTea Therapy の認知を上げる為にマルシェに参加したり、Tea Therapyに共感してくださる方のお店に置いていただいたり、他業種の方とコラボやワークショップを企画したり、一般の方々へどうしたら知って頂けるかを友人や仕事仲間、また韓方茶を通して知り合った方々と一緒に考えたりして進めています。今までは、色々な方や機会を通してご紹介頂きながら仕事をしてきましたが、商工会議所のイベントに参加した事で、こういった繋がりから新たなビジネスとして拡がっていく可能性もある、という事を改めて勉強させて頂きました。今後は、自分からも積極的に縁を繋いで、拡げていきたいとも思っています。
経営する・・・という事を、まだまだ未熟な私が偉そうに語れることは正直ないのですが、一般論として経営の目的は、単純に言えばまずは利益を出す事ですよね。最終的に利益を出せるようになるためには、私にとっては「信頼を重ねる事」だと思っています。
仕事をご一緒する上でまず見るところは、担当窓口の方や代表の方が、一緒に働く人に対し最低限、「人としてのリスペクトを持っているかどうか」を見て、感じ取って判断しているように思います。例えばお客様やクライアント様には丁寧な物腰でも、自社の社員はモノのように扱うとか、ぞんざいな態度や言葉、暴言を吐く等をしていたり、第三者に対しそういう物言いで自社の方を表現したり話されているのを聞くと、信頼してお仕事をご一緒出来ない、と判断します。
例えばそういう方は、何らかのトラブルが双方の間で起きた場合に、こちらに対しても信頼やリスペクトのない対応をされることが多く、ほぼ例外はありません。本当に。例え利幅が大きい仕事であっても、総合的に判断して、その後も仕事を一緒に続けていこうとはしません。いつかはお相手とこちらの関係性が人間として対等ではない、仮にクライアント様であったとしても、理不尽な扱いをされるようなことが想像できてしまうからです。
つまりはパートナーシップを築ける間柄にならない人との仕事は選びません。たまにそういう仕事をせざるを得ない場合でも、その方とは信頼しあえる対等な人間関係を築けるとは思えない場合は、やはりどれだけ努力しても続いていきません。逆に信頼がおける方のお勤め先が変わったり、独立されても、ちゃんとビジネスとしての関係性は続いていきます。
信頼を重ねる上で、常にお相手様とは良い距離感を保ちながら誠実に正直に向き合いたいと思っています。お取引をする上でお相手様にとってのメリットはもちろん必要ですが、必ずお相手様の立場に立ってやり取りさせて頂きます。デメリットとなる点があればその部分も必ず説明し、また私が気づかないうちに結果的にご迷惑を掛けてしまったことがあった場合、仮に内容を濁されても何が悪かったかを必ずお聞きし、不義理を働いたのであれば当然謝罪します。また、相手様にとって不快な思いや不手際となる事があったのであれば、その立場に立って二度と同じようなことが無いように、謝罪し問題点を解決すべく努めます。
常に公正・公平で在りたいという思いでしょうか。私が誠実に正直に向き合おうと思ったのは、ずっと人を観察し続けてきたからです。相手へのリスペクトなく、都合よく自分のメリットのみを主張し、誠実に人として向き合わずに表面的なやり取りしても、かえって自分を信頼してもらえず、それが原因で上手くいかない現実を、主観的にも客観的にも知っています。私は心から「人を幸せにしたい」という想いを持ち、その気持ちを持ちながら人と向き合ってきたからこそ、そう思うのかもしれません。 - Q.3.木村さんが、人と向き合う時に、どんな事を大切にされているのでしょうか?A.木村さん:
私の教え子の学生はほとんどが女性ですが、人として女性(仕事上も個人としても)として、楽しく、幸せに生きていって欲しいという想いでいます。「何が幸せか、何が大切か」という価値観はみなそれぞれ違うので押し付ける事はしませんが、人が「不幸せ」になる事柄・考え方、物の捉え方は経験上判ります。「不幸せ」に成る事は、その人にとって、プラスになる事は何もないですよね。美容等、その方の肌やメンタルに関わのサービスの提供をしている側が「不幸せ」なメンタルの状態でいる事は、必ずお客様に伝わり、結果、プロとしては求められなくなります。お客様にとってそれが伝わればクレームにもなりかねません。更に、表面的に幸せなメンタルを装っていたとしても、表面的なものは必ず見透かされます。
自分が相手ときちんと向き合い、相手を受け止め、良いサービスを提供しようと考えるのであれば、本質的な考え方や物の捉え方をプラスに変える。つまり良い言葉の使い方、物の捉え方、考え方をするという意識を持たなければ、相手のことを受け入れられず、良いサービスを提供出来ないし、こちらの想いも伝わらず、お客様の真意も引き出せない、と言う事を常に伝えています。それは人と向き合う時のみならず、何かに向き合うにしても同じで、結果、自分がそう在る事(プラス思考)で、その人・女性自身が幸せになる事に繋がるのではないかと思っています。
しかし、何かを伝える時に「こうしなさい」と私は言いません。私の考えをヒントとして伝えるだけです。アドバイスを伝えても判断して決めるのは本人なので、「私はこう思うけど」と、一意見として言うだけです。
この考え方は幼い頃からですね。人の話を聞いたり、色々なものを読んだりして、自分がこう在りたいという考えや想いが広がったり深められた事は有りますが、常に黙ってその状況の観察を続けてきました。加えて、その考えをアウトプットする事が好きだったようにも思います。私が意見を伝える事で、周りの状況が良くなるのであれば、と思い続けてきたように思います。ただ私としては単に自分の意見として述べているだけで、それを強要するつもりは全くないのですが、人によってはおせっかいと取られた事も多くあります。実際、今の時代は特にそうだと思いますが・・・。その人と私の価値観は違うと判った場合には、意見を求めていないその人に対して、敢えて私の意見を言う事も有りません。
長くこの仕事を続けてきた事で、自分の意見を述べる機会も多くなってきました、美容に関するアドバイスをするうちに、私自身を信用していただけた事から、プライベートな相談を受ける事が多くなってきました。最初は美容に関するアドバイスをするうちに、人として、女性としての心の在り方・考え方という内面が、健康や人生が作られる事に繋がる事を、私自身が点と点が線で繋がる様に、体系的に理解したのだと思います。
経営上大切にしている事と同様、人と向き合う時は誠実で、素直で在りたいと思っていますね。25歳位の頃でしょうか。「自分がお客様にサービスを提供する事で、お客様が幸せになり喜びに繋がる事は、自分を幸せにする事、自分を精神的に豊かにする事」という文章に出会った時に(私の考えもこれと同じだ!)と思いました。それは、相手からお礼が返ってきても、返ってこなくても、自分が相手に提供出来た事を積み重ねるだけで、豊かに成れるという事。つまり私は自分を精神的に豊かにするためにやっていて、それが自分を幸せにする事になるのです。
自分が提供した物を受取らないという相手の選択は、私とは価値観が違ったというだけなので、残念ではありますがそこに失望もありません。でも、より幅広い考え方があると勉強にはなりますね。
私が最近大切にしている事は、「対話」ですね。でも、表面的な建前で話したい人、また素直な気持ちや内面を見せ合うことができない方にはウザいのかもしれませんね。「対話」の場合は自分の内面に向き合って、本音で話す必要がありますから、相手からすると「踏み込まないで」と思っているかもしれません。この対話を大切にする事も私の価値観なのかもしれないと今、話してみて思いましたね。
- Q.4.今後ご自身がやりたい事はどんなことでしょうか?A.木村さん:
経営的な側面からいうと、このカウンセリングティサロンに色々な人に来ていただき、その方々をお繋ぎしながら、役立てていただきたい。興味のある方やこのお茶を使いたいと言ってくださる、病院や鍼灸院、また東洋医学のメソッドをお持ちになられているサロンの方等への卸販売にも力を入れていきたいですね。
すでにお取引のある鍼灸院の方は、健康やメンタルに不安のある顧客様に、Tea Therapyのお茶をお勧めする事で、ご自身の店舗などへ来てくださる意義を説明しやすいのと、日常の意識に取り入れやすいと仰ってくださっています。理解して下さる方々に、Tea Therapyのオーナーの先生の考えを広めていく事を意識しながら、結果、業績もアップさせていければと思っています。
体調が悪くなった時に一時的にその痛みが取り除かれても、同じような元の生活習慣を続ければまた同じ事の繰り返しです。特に 40、50代になると今までの生活の積み重ねに老化が加わることによって免疫力や回復力が低下し、不調が慢性化していきます。そのため、そこから若い時と同じように挽回できる事は難しく、痛みを西洋医学の施術によって改善出来た時には、「改善された状態を保つ」という意識を持つ事が非常に重要で、その意識を継続する事で、病名が付く病気に成る事を避けられたり遅らせる事が出来るのです。自分の健康を保つ意識を持つことで、不調を感じた時に自分でケアが出来れば、病院に行く回数を減らす事が出来、健康寿命を延ばす事に繋がります。Tea Therapyのお茶を通して、あらゆる場面でその概念がより多くの人に深く理解され、役立てることができると信じています。
楽しく人生を生きていく為には、早いうちに自分自身によるケアを意識する事が大切だと言う事が、様々な公の場面、例えば医学学会などでも言われていますが、まだまだ世の中には十分には浸透していません。逆に不調を抱え始める中年世代よりも、今の若者、例えば20代中盤位のSNS等で色々な情報に触れている、いわゆる意識の高い系の人達には色々、届いているんですけどね(笑)
身体の健康をケアするのと同時に心の健康を保つことも、東洋医学的な概念としてはとても重要で、ストレスを溜めないようにすることは本当に大切です。私自身もなるべく心がけていますが、「攻撃された時に言い返す事は、相手の悪意を受取った事になる」というお釈迦様の言葉があります。その悪意に言い返したりしない・受取らない様にして、意味のない執着は捨て、今後も価値観が似ている人とのつながりを大切にして、理解をして頂ける方との縁を広げていきたいですね。
自身のこれまで進んできた、歩んできた道を、「これが私なんだ、そのままの、ありのままの私で良いんだ」と、そう自分を受け入れることが、攻撃やストレスを跳ね返す上でとても大切だと思っています。私は自分の価値観を大事にしてきた事で、私自身が豊かになってきている、この先もそうでありたい、というのが今現在の目標ですね。
One Viewpoint
木村さんは、幼い時から人や物についてじっくりと観察され、常に熟慮を重ねてこられました。
人生の方向性を考える時、何かを選ぶ時に他の人の意見を聞き、時流を見ながらも、自分の中に確固としてある価値観・信念や願いに忠実に耳を傾けて、熟慮の上、最終判断を続けてきました。しかし、揺るぎないご自身の信念や価値観はご自身のものであり、他者も同様それぞれ持っているといい、絶対に押し付ける様なアドバイスもしません。
最初に「実は私、あまり変わっていない」とおっしゃったその意味が、最後に私の中で繋がった気がしました。インタビュー中もずっと、私が本当に久しぶりに心から寛いだ気持ちでいられたのは、木村さんの終始穏やかで、経験を重ねてきた豊かな在り方から発せられる空気感に、全身を包まれる体感をしたからでした。